LIVING
LIVING

『LIVING』は、報道写真家として活動してきた
二十数年間で撮影した中から、
選りすぐりの写真をまとめた一冊です。
今回、その写真のセレクトには、
私が最も尊敬するフォトジャーナリストである
千葉康由氏に入っていただきました。
写真を選ぶ中で彼に言われた言葉。
「これらの写真は渋谷敦志の人生みたいだ」
この一言で私はこの写真集のタイトルを『LIVING』とし、
写真に写る1人1人が生き続けると同時に、
自分自身も生き続けてきたという思いを込めました。
そしてこのタイトルのように、
私はこれからもカメラとともに旅をし、
生き続けたいと思っています。
二十数年間で撮影した中から、
選りすぐりの写真をまとめた一冊です。
今回、その写真のセレクトには、
私が最も尊敬するフォトジャーナリストである
千葉康由氏に入っていただきました。
写真を選ぶ中で彼に言われた言葉。
「これらの写真は渋谷敦志の人生みたいだ」
この一言で私はこの写真集のタイトルを『LIVING』とし、
写真に写る1人1人が生き続けると同時に、
自分自身も生き続けてきたという思いを込めました。
そしてこのタイトルのように、
私はこれからもカメラとともに旅をし、
生き続けたいと思っています。
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凛として/ナイジェリア 2019 ナイジェリア北東部で大規模な人道危機が続き、
少なくとも2万人以上が殺害され、
数百万もの民間人が
家を追われて
避難生活を強いられていた。
その時訪れたボルノ州の州都マイドゥグリにある
小さな避難所。
非公式の避難所ゆえに、
食料や飲料水の確保すらままならない
厳しい生活環境だったが、
住民たちは写真を撮るだけで
何も与えない訪問者の私を歓迎してくれた。
そのときに出会ったひとりの少女。
ファインダー越しに見た、鋭く美しい眼光と、
凛とした佇まいは今も目に焼きついている。 -
煮えたぎる砂の世界/エチオピア 2013 エチオピア北東部に広がるダナキル砂漠。
太古から続く地殻変動でできた巨大な大地の裂け目、
「グレート・リフト・ヴァレー(大地溝帯)」の底に、それはある。
世界で最も暑い場所として知られ、
海面より低い砂漠を進むと突如、塩の大地が出現する。
かつてあった海水から水分が蒸発し、
厚い塩の層が残っているのだ。
その塩を切り出し、
ラクダに積んで町まで運ぶ、“塩のキャラバン”。
何百年も変わらないこの営みは、
アスファルトの道が開通した今も続いている。 -
今を生きる/タイ・ミャンマー国境 2008 ミャンマーとの国境にほど近い山岳地帯にある
「ウンピアム難民キャンプ」。
国境を超えて逃れた多くのカレン族が身を寄せていた。
8月、カレン族の伝統的な祭事「ラクキチュ」
(カレン語で「腕にひもを結ぶ」の意味)で、
たまたま私の腕に糸を結んでくれた少女がルルだった。
当時10歳。その時に撮った一枚がきっかけとなり、
その後10年以上撮影を続けている。
「たとえ幸せじゃなくても
幸せの方に心を向けることはできます」
20歳を超えたときの彼女の言葉だ。
キャンプの外に出たが、生活は依然苦しい。
それでも、彼女なりの歩みで、
寄って立つ根っこを求め、今を生きる。 -
ああ、サウダージ/ブラジル 2006 20歳の時にもしブラジルに出会っていなければ、
今こんな生き方をしていなかっただろう。
憧れにも似た未知の世界へのまなざしを羅針盤にして、
未来とも希望ともいえる光の差す場所を探し求める生き方。
それが私の写真であり、人生である。
世界各地を旅していると、ときおり猛烈に
「ブラジル不足」の症状に襲われることがある。
「ここはブラジルじゃないんだ」と空を見上げては、
遥か遠くのブラジルに想いを馳せる。
そんな感情を表す、とっておきの言葉がある。
「ああ、サウダージ」。 -
平和のために/東ティモール 2006 1976年代以降のインドネシアによる
併合支配を脱して、2002年に独立、
「21世紀で一番新しい国」となった東ティモール。
だが、船出からわずか4年後、
ティモール島の出身地の違いに起因する
火種が燃え広がり、多数の犠牲者や難民を出す
騒乱状態になっていた。
そんな最中、NGO「国境なき子どもたち」から
ボランティア活動に誘われ、子どもの教育を通して、
分断した地域の絆を取り戻す仕事に関わった。
現地で生活したことで素朴に思ったのは、
「平和は難しい」ということだった。
分断がますます深まるこの世界で、
異なる価値や立場に思いを巡らせ、対話し、
人間同士の結びつきをどのように再生していくのか。
むろん平和のために。 -
ボーダーランド/ザンビア・コンゴ国境 2013 写真を撮り続ける中で、いつしか私は
「ボーダー」という言葉をテーマにするようになった。
それは国境とは限らない。人の心にある想像上のものも含め、
この世界にはありとあらゆるボーダーが張り巡らされている。
そんなボーダーを、人と人を隔てるラインではなく、
人と人が交わり、つながる可能性を秘めたランドとして
捉え直せないだろうか。
「ボーダーランド」を求める旅から多くの写真が生まれた。
わかり合えたわけではないが、つながっている。
そんなニュアンスが写り込んだ写真を介すことで、
ボーダーを乗り越え、世界の見方が変わっていく。
そうした力も、私が写真を撮り続ける理由の一つだ。