亀田半島 辿編
公開日:2020年7月9日
長い年月にわたる人の営みが
日本の「地」をつくってきた。
その一方で、「地」が
日本人の暮らしに
与えてきた影響も大きい。
島国、日本。
複雑に曲折するその海岸線は、
半島同士のつながり
そのものだ。
「半島」を巡る旅を通し
日本を見つめ直す。
WEBコンテンツムービー写真家 公文健太郎「半島」~亀田半島 辿編~
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半島東の先端にある恵山は、
火薬やマッチの原料となる
硫黄が採取できた。
周辺では林業も盛んだった。
休山する半世紀前まで、
硫黄や木材は函館へ馬で運ばれ、
本州へと渡っていたという。
函館から恵山までの道のり。
その〝距離〟を感じるために、
先人が歩いた道を辿った。 -
かつて定男さんも、
恵山で働いていた。
山が崩れないよう
土留をする仕事である。
森から伐採した木を
山の中腹へ馬で運ぶ。
いわゆる馬搬という作業だ。
定男さんの自宅には、
当時の古い写真が飾られていた。
若き日の定男さんの眼光や
雰囲気は今も変わらない。 -
車がなかった時代、
馬がなければ
物を運ぶことができなかった。
そんな時代に思いを馳せるため、
海岸や旧道を辿った。
この日の吹雪のように
先人たちは過酷な道を
馬と共に歩いたんだろうか。
そんな断片を
つないでいった。
馬でつながった、
根元と先端を撮ることで、
この地の歴史、そして
半島で感じたかった
〝距離〟を知ることができる。
見えてきたのは、
定男さんの歴史でもあり、
半島に生きる人の歴史でもある。
馬に名前はつけるのだろうか。
馬鹿いってんじゃねえと、
定男さんは微笑む。