島原半島 桜編
公開日:2020年7月9日
長い年月にわたる人の営みが
日本の「地」をつくってきた。
その一方で、「地」が
日本人の暮らしに
与えてきた影響も大きい。
島国、日本。
複雑に曲折するその海岸線は、
半島同士のつながり
そのものだ。
「半島」を巡る旅を通し
日本を見つめ直す。
WEBコンテンツムービー写真家 公文健太郎「半島」~島原半島 桜編~
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雲仙普賢岳を有する島原半島。
火砕流が作った海岸線。
土に埋まる無数の溶岩石。
それはこの場所が、幾度もの
噴火で作り上げられたことを
物語っていた。
実際、日本には、噴火による
隆起で生まれた半島が多くある。
この地を知ることは、半島の
成り立ちを知ることでもある。 -
小学生の頃、テレビで観た噴火を
今でも強烈に記憶している。
火砕流が通ったその地域には、
新しい石垣や舗装道路、
区画整理された畑が広がっていた。
すぐ横には、苔生した石垣や
太い欅、曲がりくねった道など、
古い街並みが残る。
新と旧。まったく異なる二つが
あまりにも自然に共存していた。 -
長崎県の農産物の大半が
島原半島で作られるという。
至る所で湧き出す水と、
火山灰が混じる肥沃な土が、
野菜作りに適しているのだ。
火山がこの地に多くの恵みを
与えていることもまた事実。
「地」と「暮らし」。
島原半島には、
その強いつながりがあった。
暖かな春の公園には、
生まれたばかりの子を連れ、
花見を楽しむ親子がいた。
当時助けてもらったからと、
全国の被災地に義援金を
送り続ける夫婦にも会った。
新しい命が芽吹く頃、
空は霞むという。
「春霞」。
島原の桜は満開だった。