薩摩半島 港編
公開日:2020年7月9日
長い年月にわたる人の営みが
日本の「地」をつくってきた。
その一方で、「地」が
日本人の暮らしに
与えてきた影響も大きい。
島国、日本。
複雑に曲折するその海岸線は、
半島同士のつながり
そのものだ。
「半島」を巡る旅を通し
日本を見つめ直す。
WEBコンテンツムービー写真家 公文健太郎「半島」~薩摩半島 港編~
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「鶴の港」とも形容される山川港は、
鹿児島湾口に位置し、
古くから国際貿易港として栄えた。
湾曲した地形が特徴で、
波が入りにくく、海面は常に穏やかだ。
かつては荒天時に多くの船が集まる、
避難港にもなった。
水深が深く大型船も入港できるという。
その光景は今も垣間見ることができた。
モノだけでなく、人や文化の
入口・出口だった港には、
その風景が色濃く残っていた。 -
薩摩半島と大隅半島を結ぶのは、
海の国道と呼ばれる高速フェリー。
海風が心地よい船の上で、
さまざまな人との出会いがあった。
観光やツーリングで乗船する人だけでなく、
病院へ通う人、仕事で利用している人、
恋人に会うためという人もいた。
日常生活の中で、この船は欠かせない。
かつて交易の拠点だった山川港は、
人の入口・出口としても
今もなお、その役割を担っていた。 -
漁師たちの気勢があがる。
港の朝は、夜明け前から始まる。
水揚げされた魚の中で、
特に目を引くのが、大量のカツオだ。
冷凍コンテナから次々に運び出される。
多くが燻煙が立ち上る工場へ運ばれるのだ。
山川町は全国屈指のカツオ節の生産量を誇る。
早朝の薄暗い工場で職人がカツオを捌く。
使うのはカツオ節に必要な部位だけではない。
部位ごとに使い方を分けて活かす。
けっして無駄にはしない。
港と町を隔てる外輪山を抜けると、
広大な農地が広がっていた。
琉球から薩摩に伝わったサツマイモは、
山川から広がったという。
港は文化の入口・出口でもあったのだ。
海の向こうから運ばれてきた文化と
この土地の文化が混ざり合い作られた風景。
それは、琉球や諸外国と
深く繋がっていた痕跡なのかもしれない。
町を歩き、人と出会うことで、
異国を訪ねているような感覚を覚えた。