写真家・GOTO AKI
公開日:2024年12月6日
写真家・GOTO AKI
− 数年前から取り組んでいる[terra]は、日本を地球という惑星の一部と捉え、単なる景色ではなく、膨大な時間の流れの内なる“風景”を写真にしていくシリーズです。日本の火山や地殻変動がある場所、隆起してできた大地は一見止まっているけど、別の時間軸で見ると実は動いているようなところがあるんです。そんな場所に今も通い撮り続けている[terra]シリーズは、恐らくおじいちゃんになるまで続けるでしょうし、とても撮りつくせない大きなテーマだなと思っています。
− 今、[terra]とはまた別の軸で取り組んでいるテーマがあります。2023年からスタートした大阪の天満橋から和歌山の田辺までの参詣道紀伊路です。熊野古道を撮っている写真家さんはたくさんいますが、僕が調べた限り紀伊路をテーマにして、しかも全距離を歩いて撮っている方はいないのではないかと思っています。まだ誰もやっていない中で、見えてくるものを写真集や展示にして、世の中に提示したいなと。何年かかるかわかりませんが、ゆっくり時間をかけて発展させていきたいプロジェクトです。
− 僕が10日間かけて歩いた距離は250〜270kmほど。この道で出会った自然風景だけでなく、たとえば電柱や家の壁など、人工物も全部まるっと飲み込むように撮影をしています。もともと世界一周の旅から写真の世界に入ってきたので、その原点に戻っているようなところもありますね。[terra]と[紀伊路]2つのテーマを同時に進めているところです。
− まるで別の軸に見えるこの2つのテーマですが、実は重なる部分が結構あるんです。歩いていると、どうしても地形を体で感じるところがありますし、撮影した後に調べると、中央構造線とかそういう地形的な言葉がキーワードとして挙がってきたりもするので、根っこは近いと感じます。時間を掘っていくのが[terra]シリーズだとしたら、横軸の旅の移動が[紀伊路]シリーズです。
− 撮っている時は、その場の天候や光に反応してシャッターを切っているので、頭でこれは[terra]用とか、[紀伊路]用と分けることはできません。どんどん撮っていく感じですね。ただ選ぶ時にどちらのテーマに合っているのか。まさに作っている段階なので、白黒つけられないんですけど、今は撮り集めている状態です。
− 大学生時代に世界一周の旅をしたんです。だから長距離を歩いたり移動することがどういうことかは知っていたし、今も興味はあります。ただ大人になるにつれ、何か月も歩くというのは現実的ではなくなりました。でも心の中に衝動が眠っているのもわかっていました。そんな時に、「紀伊路を歩いたらどういう気分の変化があるのか」という数値化しにくいことを研究されている方と音楽家の友人から「紀伊路を歩かないか」という誘いを受けたんです。条件的なことは一切抜きにして、二つ返事で決意しました。やっと歩く時が来たなっていう感覚です。物事って、やるべき正しい時があると思うんですけど、それが時間を経てやってきたなと。歩くペースはみんな違うので「今日は30km」とか、泊まる場所を決めておいて。だからほぼ一人で歩いているような感じでした。
− 音楽家の方は「水の音が聞こえてきた」とか「街のノイズが増えた」とか音の触覚で見ているんですけど、僕は写真家なので「ここ逆光ですごく目に光が届くんだ」とか「そのせいで色がぼやけるけどより何か感覚的なものが入ってくる」とか、そういう感覚の変遷をたどるような旅でした。
− [紀伊路]を[terra]と区別しながら撮っているかというと、同じ人 間が撮っているので、撮っている時にスイッチは切り替えられません。ただ[terra]より、もっと広く飲み込んでやろうというか、選別しない感じがより強くて、何でもノイズとして入ってきてほしいという思いはあります。電柱や看板、人間も含めてですけど、すべての時間軸が、ここには現れているという考え方です。以前は排除していたものも、むしろ「いいよ、入れてみよう」という。もちろん[terra]と同じように、ゾクっと来るような触覚に触れるものに反応してシャッターを切ってしまいますね。たとえば神社があったりとか、地元で聖地のような扱いを受けていたりとか、ちょっと精神世界ではないですけど、日本の伝統文化というか、物の考え方と繋がるようなところで、やっぱりビジュアルで反応するんだなっていう。後になってわかるんですけどね。撮っている時は「こんもりしたこの森は密度が高いな」とか、それぐらいの感覚だった思います。
− 一枚一枚の写真の良さは、もちろん大事ですけど、写真展とか写真集では複数枚で見せていくので、何でもないところをいかにストレートに撮るのかってことをすごく意識しています。過剰な補正やコントラストの強い写真ではなく、そのままの光を捉えた写真の良さというか、ストレートフォトグラフィーの魅力っていうのが、この紀伊路を撮っている時、特に強く感じていますね。
− 最終的には写真展や写真集にまとめていきたいと思っているので、そうしたノイズが実は、人工物が写っていない写真と一緒になった時に、何か別の響き合いが始まるのではないか。まるで実験をするような、ワクワクする感じもあって。まだ形にしていないので、どうなるかはこれからなんですけどね。
− [紀伊路]シリーズは、普通の道で撮った写真をいかに作品に昇華していくかというのがテーマの一つでもあります。そういう点でEOS R5 Mark IIは、すごくやりやすいカメラです。特に視線入力。最初はどこまで使えるのかなと思ったんですけど、キャリブレーションを3、4回繰り返すと、精度がグッと上がったんです。そうすると、いいなと思う光景で、ワンクッションなく“見て”撮れる。体と直結する感じが、私には最高ですね。スマホやAIの発展で、答えらしきものにすぐにたどりつけるんだけど、それは頭でわかった気になっているだけかもしれません。でも、写真って体を動かして、体で覚えて歩いて汗かいて撮るところにも喜びがあるので、見て撮れる視線入力は僕の中ですごくスっとくる。身体の一部になった感じがしますね。
− たとえばこの写真でいうと、アスファルトは以前の僕なら撮らなかったと思います。こういう一点透視図法的な写真は古典的な構図でもあるので、「いやこうじゃない、もっと平面化しよう」みたいな思考が[terra]では発展するにつれて強かった感じがあるんです。もちろん平面の面白さもあるんですが、もう一回原点に立ち返って、見て撮るというか。大阪から和歌山を歩いた時は南に向かって進むので、基本的には逆光とか反射光を目で感じながら行くんです。そういう光に向かって歩いて行くと、物を撮るというよりは反射した光を築いていくみたいなところがあります。電線や看板だって、光のあり方としては一緒だから、より飲み込んでやろうみたいな。そういう感覚でやっていくと、すごく柔らかな気持ちで周りのものを対象に入れていけるし、本当に写真を最初にやり始めた頃の何でも撮ってやるというピュアな楽しさをすごく感じられて、戻ってきている感じがありました。
− 画質でいうと画素数は変わっていませんが、アップスケーリング機能は使える機能だったことが実感できました。約1億7900万画素のデータがカメラ内で生成できるのは、僕にとってすごく大きいことです。この夏に撮ったデータを一気にPCで見て、これはというデータをカメラに戻して、アップスケーリングするわけです。それで「よしOK」としていました。カメラの中にパソコンが入った感じですかね。ただ、デジタル写真を黎明期からやっている方は、JPEGしかアップスケーリングできないの? という感覚があると思うんです。でもね、そもそものJPEGがめちゃくちゃキレイなんですよ。かつての軽い圧縮した画像みたいなイメージはもう忘れた方がいいと思います。以前は、RAW+ JPEG(スモール)だったのが、今ではRAW+JPEG(ラージ)で撮っています。データ量が増えてしまうんですけど、使えるJPEGだと思うと、たとえばピクチャースタイルのモノクロが反映された状態でもパッと見られるし、そういう意味でも作品づくりにより近づいた感じがありますね。それから、ディテールがゴツゴツしたような写真で大判プリントしてみたんですが、精細さというか質感はゾクッとするような感じがありました。写真展で1500mmとか大きいプリントをよく出していたので、ますます伸ばしやすくなったというのが実感としてあります。
− RFマウントはバックフォーカスが短くなったので、かつてより写りがシャープになったという印象を皆さんもお持ちかもしれません。しかもRFレンズは開放から線がキレイに出るんですよね。以前はF8.0とかF11が中心でしたが、最近は開放で撮ることが多いです。僕のメインレンズの一本でもあるRF28-70mm F2 L USMは、F2.0で撮ってもピントが非常に良い。F5.6、F8.0のシャープさがF2.0で得られてしまう。写真展や写真集ということを考えた時、逆手に取ってちょっと柔らかい作品を入れていくっていうのが、今、作家として意図的に考えているところですね。こういう視線の揺らぎというのは複数の写真で見せていく中で入れていけばいいので、合わせるべき時はバチッと合わせて、見てくださる方の視覚を揺るがすようなことができたらいいなと思っています。
− もう一つ、ホワイトバランスについても。どんなに空が曇っていても、その上には太陽があるので、絶対に[太陽光]で撮っていたんです。だけどEOS R5 Mark IIでは[オートWB]の[雰囲気優先]で撮っています。朝と夕方の本当に濃い色が欲しいなという時だけ、[太陽光]に変えて色温度を利用しているんですけど、日中はオートに任せています。他にも良いところはありますが、EVFもその一つでしょう。今年の夏はすごく暑くて光がすごく強かったですね。有害光が入りやすい季節だったけど、このEVFの見えやすさのおかげで気になりませんでした。9月に入ってからはアイカップを付けるようになったので、さらに見やすさが変わりましたよ。熱対策、マルチファンクションボタン、グリップの握りやすさ、バッテリーの持ちなど、地味だけど見えづらいところに良さが眠っているカメラだと思います。
− カメラが新しくなると、たとえばFvモードを使ってみようとか、視線入力を試してみようとか、ちょっと実験みたいなことはやりたいんですよね。今回、マット紙もその感覚に近いと思います。これまで避けていた紙ですからね。ただEOS学園や大学で教える機会も増えて、受講生の作品を見ている時に、皆さん自由にいろいろな紙を使ってプリントしてくるんです。教えるということも、僕の中では創作の一部で学びの機会にもなっているんですね。そうすると「この方は僕が行ったところで撮ってきたけど、こういう紙でプリントしてきた。こういう見え方するんだ」と逆に勉強になったりします。そういう中で、マット紙もちょっとやってみようと。すると、意外といいなって。写りすぎるということが、マット紙だと少し和らげてくれるようところがあるので、両方の良さが意外と生かせるんじゃないかなと感じているところです。
− マット紙でプリントされた作品を見るのは好きですよ。ただ自分は使わないだろうなって思っていたんです。シャープさや黒の締まりがちょっと弱いと思っていたので。よりナチュラルな(微粒面光沢)ラスターがすごく自然で、自分の中のスタンダードだったんですけど、選択肢が広がりました。新しいPRO-1100でプリントしてみたんですが、黒がちゃんと締まるなって。本当に使える感じです。マット紙ってすごく個性的なので、“マットでやったな”という感じが先に立つことが多いんです。でもこのレベルのクオリティーなら、用紙ではなく写真に意識が行くから、これなら今後も使いたいなと思いますね。マット紙の地位が僕の中で上がった感じはあります。
− [紀伊路]のプロジェクトは、ある程度歩くっていうことが前提になるので、毎日は行けません。1週間〜10日間くらいと決めて集中的に撮って、また戻ってきたらプリントをする。別の写真と出会う時間をゆっくり持って、慌てずやりたいなと思います。検証を重ねていくと自分の考えていることもだんだん整理されてくるんです。プリントするとか、歩いて撮るとか、手作業とか、体を使うことで思考を整理して、写真集や写真展で皆さんに問いかけていきたい。紀伊路をテーマに撮っている写真家さんがいないからこそ、すごくやりがいのある仕事だなと思っています。だから長い時間をかけてでも、とにかく丁寧にやりたいんです。
− 2007年の時点までは、EOS-1Ds Mark IIIがメイン機でした。当時は情報源として、まだ雑誌がすごく機能していた時代でしたよね。航空会社の機内誌、クレジットカード会社が発行している富裕層向けの旅雑誌、一般誌でも旅特集があったりとか。ちょっと大きめの雑誌でも見開きで印刷に耐えられるものが撮れたんです。でも海外に持って行く時に、すごく大きくて荷物になるし、価格も80万円くらいしたんですね。フリーランスで3台も4台も買えません。そんな時にEOS 5D Mark IIが出てきました。ここが“5”との出会いですね。最初はサブ機のつもりで買ったのが、写りがEOS-1Ds Mark IIIと同じかそれ以上と気づきはじめて、どんどん地位が変わっていったのを覚えています。気づくとEOS 5D Mark IIを2台使っていましたよ。
− 2010年に風景をテーマにした[LAND ESCAPES]という写真展を初めてキヤノンギャラリーで開催しました。2007年〜2009年は、まさにその作品を撮り続けていた時期なんです。EOS 5D Mark IIは、いうなれば今の[terra]に至る作品の最初に撮り始めたカメラでもあるということですね。2013年に、キヤノンカレンダー(2015年版)撮影のご依頼をいただきましたが、もちろん僕の横には“5”がありました。その頃EOS 5D Mark IIIでしたね。忘れられないのがEOS 5Ds。撮ることがすごく大変なカメラでしたが、(ピントが)当たった時のディテールのすごさは、今も衝撃として残っていますね。そして[terra]に至る作品を作り始めた時には、EOS 5D Mark IVがメインでした。[terra]は、いろいろな方に注目していただけて、僕を大きくステップアップさせてくれた作品といえます。
− 作品づくりの横に常にいてくれたのは“5”です。2020年にEOS R5が出た時はやっと高画素化してくれて(約4500万画素)。写真を大きくプリントするので、僕にとって画素数は大事なんです。EOS R5は4年間使って不満なかったし、むちゃくちゃいいカメラだと今でも思っているんです。でもEOS R5 Mark IIがついに出てきて。スペックはそんなに変わらないと事前に聞いたので、大きくない期待値から入ったんですが、実際に触ってみたら、わかるものですね。ちょっとちょっとの変化がすごく良い。EOS R5が古く感じてしまうのは嫌なんですけどね(笑)。改めて“5”は自分と一緒に発展しているという実感は大きいですね。これ以上はもう進化しないだろうと思っていても、その期待を超えてしまうんだから、次はどうなっちゃうんでしょうね。
GOTO AKI写真家
1972年 川崎市生まれ。
上智大学経済学部経営学科、東京綜合写真専門学校写真芸術第二学科 卒業
1993〜94年の世界一周の旅から現在まで56カ国を巡る。丸紅株式会社にて天然ガスのパイプライン輸送ビジネスに携わった後、東京綜合写真専門学校へ入学。写真家鈴木清氏、小林のりお氏に学ぶ。現在は日本の自然風景をモチーフとして色彩や造形の調和と明暗の差異による視覚効果を探求し、窓と鏡の視点を行き来する多面的な表現を展開。地球的な時間の流れと光を織り交ぜた根源的なランドスケープの作品制作を続けている。写真集・個展に「LAND ESCAPES」、「LAND ESCAPES FACE」、「terra」等がある。2019年の写真展「terra」(キヤノンギャラリー S)、写真集「terra」(赤々舎)にて、日本写真協会賞新人賞受賞(2020年)日本大学芸術学部准教授。