石元 泰博・木村 伊兵衛・林 忠彦キヤノンフォトコレクション特別展 PART1「時代を映す」 石元 泰博・岩宮 武二・植田 正治キヤノンフォトコレクション特別展 PART2「造形を映す」キヤノンギャラリー S 10周年記念展 第1部
キヤノンギャラリー S 開設10周年を記念した特別年間写真イベント「キヤノンギャラリー S 10周年記念展」の第1部。
日本の近代写真史において、偉大な足跡を残した5名の写真家の作品を2回に分けて展示。「時代を映す」と題したPART1は、時代の素顔に迫った写真家たちが残した名作を辿り、「造形を映す」と題したPART2では、写真家の美意識に着目し、それぞれの造形美を追求した作品を展示。
会期 | 会場 |
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2013年1月31日~2013年2月21日 | キヤノンギャラリー S |
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2013年2月23日~2013年3月16日 | キヤノンギャラリー S |
作品・展示風景
キヤノンフォトコレクション特別展 PART1「時代を映す」
キヤノンフォトコレクション特別展 PART2「造形を映す」
作家プロフィール
石元 泰博(いしもと やすひろ)
1921年、アメリカ・サンフランシスコに生まれる。1924年から1939年までを高知県で過ごす。1939年、単身渡米。第二次大戦の開戦にともない日系人収容所アマチキャンプに収容される。1948年、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス、後にイリノイ工科大学に編入)写真科に入学。ハリー・キャラハン、アーロン・シスキンから多くを学ぶ。1953年、イリノイ工科大学卒業。同年「The Family of Man」展の作品収集のため来日。桂離宮を撮影。1958年から1961年、滋夫人(1956年結婚)とともに再びシカゴに渡る。1969年、日本国籍を取得。以後、日本を拠点に活動する。1970年、『シカゴ、シカゴ』(美術出版社, 1969)にて昭和44年度毎日芸術賞受賞。1983年、紫綬褒章受章。1993年、勲四等旭日小綬章受章。1996年、平成8年度文化功労者に選ばれる。2005年、紺綬褒章受章。2012年2月6日逝去。
木村 伊兵衛(きむら いへえ)
1901年、東京市下谷金杉上町(現東京都台東区)で生まれる。1919年、京華商業学校卒業。1924年、日暮里に写真館を開く。1932年、野島康三、中山岩太と写真雑誌『光画』を創刊。1933年、名取洋之助の興した日本工房に岡田桑三、原弘、伊奈信男と参加。1947年、サン・ニュース・フォトス社に名取洋之助を訪ね、入社。1951年、土門拳とともに「集団フォト」顧問となる。アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真を見て、報道写真への情熱を確信する。 1952年、「秋田県綜合美術展覧会」の写真審査で秋田に招かれる。以後20年にわたり秋田風俗を撮影。1968年、紫綬褒章受章。1974年5月31日、逝去。従五位勲四等旭日小綬章受章。1975年、朝日新聞社が、とくに新人写真家を対象とする「木村伊兵衛賞」を創設。
林 忠彦(はやし ただひこ)
1918年、山口県に生まれる。1947年、写真グループ「銀龍社」を赤穂英一、秋山庄太郎、植田正治、緑川洋一らと結成。『小説新潮』の巻頭に文士シリーズの連載始まり、坂口安吾、太宰治らの写真で評価される。1971年、日本写真協会年度賞を受賞。1972年、二科展出品《織田広喜》で総理大臣賞受賞。1979年、『日本の画家108人』で毎日芸術賞、および日本写真協会年度賞を受賞。 1983年、紫綬褒章受章。1986年、〈東海道〉を四男義勝の協力で撮影再開。1988年、勲四等旭日小綬章受章。日本写真協会功労賞受賞。徳山文化協会から特別文化功労者として表彰される。 1989年、徳山市市民文化栄誉章受章。1990年12月18日、逝去。 1992年、徳山市と同市文化振興財団がアマチュア写真振興で「林忠彦賞」を創設。
岩宮 武二(いわみや たけじ)
1920年、鳥取県米子市生まれ。
1946年、フリーランスカメラマンとなる。1955年、岩宮フォトス創立。1962年、『かたちI』『かたちII』にて日本写真協会賞受賞。1966年、大阪芸術大学教授に就任。『京 Kyoto in KYOTO』にて毎日芸術賞受賞。1969年、『宮廷の庭』(I、II、III)にて芸術選奨文部大臣賞受賞。尼崎市市民芸術賞受賞。1971年ユネスコ委嘱による〈仏像のイメージ〉出版のためアジアを取材。1972年「ImperialGardens of Japan」にて第4回国際出版文化賞受賞。1976年、全日本写真連盟より功労賞受賞。1988年、兵庫県文化賞受賞。1989年『アジアの仏像』にて日本写真協会年度賞受賞。同年6月26日、逝去。
植田 正治(うえだ しょうじ)
1913年、鳥取県境港市に生まれる。幼いころより写真や美術に関心が深く、18歳で写真の道を志し上京、オリエンタル写真学校に3ヵ月間通う。のち郷里に帰り19歳で営業写真館をはじめる。写真館の仕事は家人にまかせ撮影三昧の日々を送り、写真雑誌の『月例』入選常連者となる。家から自転車で5分という砂浜を舞台にした「演出人物写真」の《少女四態》や《パパとママとコドモたち》で注目される。鳥取砂丘を舞台に人物をオブジェのように配した《砂丘モード》は「UEDA-CHO」と呼ばれ世界的な評価を得る。1995年植田正治写真美術館を設立。1996年フランスより芸術文化勲章を授与される。国内外で多数の展覧会を開催。生涯ふるさとを離れることなく"永遠のアマチュア精神"を貫いた。2000年7月4日、逝去。
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