作品 2025年 第3回GRAPHGATE
作 品
+++ グランプリ +++
奥田 峻史氏オクダ シュンジ
ヤケグイ
Statement
いつか私の身体が思い通りに動かなくなったなら、どのようにその日を生きられるだろうかと考えることがある。
「おばあちゃんは、やけ食いしまーす」
末期癌が見つかり、余命三ヶ月を告げられた祖母は、ほがらかに宣言した。
そして貪欲に、甘いものを口に運んでいく。
身体の状態は刻々と変わっていき、やがて起き上がることすら困難になっても、その日のデザートを前にした祖母はパワフルだった。
「美味しい」と恍惚の表情を浮かべて、若返ったかのようだ。
祖母の最期を前に、人はいつでも新しく生まれ変われるのだと知らされた気がした。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
人と出会い、話を聞き、撮影をする時間そのものが自分の身体を支えているように思います。
被写体となってくれた人のエネルギーに背中を押されながら、ぎこちない足取りで一歩ずつ歩いてきました。これからもそんなふうにして撮り続けていきます。
そうしてできた作品が誰かの身体を支えたり、誰かの背中をポンと押すようなことが起きたら本当に嬉しく思います。
時代も、写真と映像の持つ意味も目まぐるしく変わっていくと思いますが、人間が生身の身体を持って生きていかなければならない存在である以上、その身体を通して世界とどう関わるかという問いには終わりがありません。
一人一人が持つ固有のリズム、呼吸を感じながら、その存在の確かさに触れる体験を積み重ねていきたいです。
Profile
1999年、奈良県奈良市生まれ。
高校時代、友人や街で出会った人々の語りをビデオカメラで記録し始めたことを機に、映像・写真制作を開始。人がそれぞれに持つ「固有の身体」への探究を制作の軸とする。
以降、フリーランスのビデオグラファー/フォトグラファーとして活動しながら作品制作を続けるも、コロナ禍を境に、心身に閉塞感を感じ人物撮影から遠ざかる。
2024年、自宅に篭って撮影した作品で初の写真展「空洞が ある」を開催。
その後人物撮影に回帰し、身近な家族から身体表現者、子どもたちなど、様々な人と対面して制作している。
Instagram:shunjiokuda_8310
HP:shunjiokuda.com
+++ 優秀賞 +++※グランプリ選考会 進出者。五十音順
大鐘 愛子氏オオガネ アイコ
My colors
Statement
今回の作品は2019年から撮り始めた継続的な作品です。
私の写真表現の土台にあるのは「色彩」です。
色彩学には理論的な基準がありますが、同じ色を見ても人によって感じ方や見え方は異なります。
その中で自分が感じた色を基点に制作をしています。
土台の上に重ねていくのが、シュールな印象や、アウトライン(輪郭)の美しさです。
この3つ「色彩」「シュールさ」「アウトラインの美しさ」の構成で私の写真は成り立っています。
そして何より大切にしているのが、「自分が良い!と思えること」です。
このコンテストに出すにあたって良いと思うものっていったい何なんだろう?と考えました。
そこで出た答えは見た瞬間に刺激が得られる、強烈なものが好きという事でした。
私は人が週末遊ぶのと同じように週末撮影することが楽しく、
コレクターがカードを集めるように撮った写真が少しずつ増えていくことに喜びがあります。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
一番大切にしているのは、自己表現として好きな作品作りを続けていくことです。
そして今まで以上に作品を見てもらえる場所を増やしていきたいです。
いろいろな土地、空間での展示や作品集が出せるようになり大鐘愛子の名前で集客できるような存在になることが目標です。
また、仕事としての写真にも力を入れつつ、作家活動との間に相乗効果が生まれるような素敵な撮影ができれば良いなと考えています。
写真をライフワークとして、歳を重ねる毎にそのときの自分にとって一番良いと思える写真を撮り続けていたいです。
Profile
1989年生まれ。東京綜合写真専門学校夜間部を卒業後、都内にある撮影スタジオに就職し、ライティングの技術を学びました。
この頃から本格的に作品制作を始め、人物・風景・物とジャンルを問わず撮影しています。
全てを通して大切にしているのが自分の色彩です。
現在は会社員として働きながら作家活動を精力的に行ってます。
Instagram:11ogane08
大野 咲子氏オオノ サキコ
家族のあとさき(2025)
Statement
不妊治療を始めてから、私の視界と日々の風景は少しずつ姿を変えていった。
赤は血を、数字は周期を、トンネルは膣を思わせるように、目に映るすべてがメタファーのように感じられるようになった。
3年間、不妊治療を続けた。
スナップとセットアップ撮影を組み合わせることで、現実と想像、内面と外面のあいだを探るようになった。
3年4か月の治療を経ても、子どもを授かることはできなかった。
その後、不妊治療を経て子どもを授かった家族のポートレート撮影を始めた。
子どもの頃は、結婚して家庭を持つことが自然な未来だと思っていた。
けれど、家族や結婚、仕事には、明るさと陰の両方があると知った。
気づけば、私も現代の女性が抱える課題の中にいた。
この経験を通して、誰かと心を通わせ、共に感じ、共有できる作品になればと願っている。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
今後も、これまで取り組んできた家族や人間の関係性を引き続き中心のテーマとして活動していこうと考えている。
具体的には、2024年に刊行した写真集『家族のあとさき』に関連し、不妊治療のその後やさまざまな状況の家族を撮影し、展示や新たな出版物として展開していきたいと考えている。
また、並行して2013年に江戸時代から続く実家の母屋の建替えをきっかけに撮影を開始した、自身の家族のポートレートや家族像の記録も進めている。こちらも長期的なプロジェクトとなるが、最終的には写真集やインスタレーションという形で発表を目指す。
私がこうした被写体やテーマに惹かれるのは、自身の個人的な経験を出発点として、より普遍的な社会課題や人々の感情と対話したいからである。
写真という媒体を通じて、家族、関係性、葛藤、時代の抱えるイシューを丁寧に掬い取り、他者との共感や対話につながる表現活動を行っていきたいと考えている。
Profile
広告写真家として活動を開始し、約20年間にわたり食分野を中心に撮影を行う。
商業写真の経験を経て、作家として「家庭」や「幸福」をテーマとする作品制作を始め、不妊治療を通して家族のかたちを見つめ直した写真集『家族のあとさき』を上梓。
現代社会における他者との関係性や家族像の変容を主題に、継続的な考察と表現を行っている。
Instagram:ame_haru_sakiko
kokoro氏ココロ
sleep where you sleep
Statement
昨年、産まれてから長い間ともに暮らしていた祖母が亡くなりました。
病気がわかってから1ヶ月も経たないうちに、祖母と祖父の寝室である畳の部屋で、家族に見守られながら静かに息を引き取りました。
祖母が死んでしまった、ということはもちろん理解できましたが、不思議と涙は出ず、正直、喪失感のようなものもありませんでした。
生きている、死んでいる、よりももっと、確かなもの。
過ごした時間や抱いた感情のこと、愛のかたちについて。
肉体がこの世に存在する最後の日、祖母と世界の関わりの中で、その「確かなもの」を写真というツールを通して私なりに見つめ「さようなら」を送りました。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
私はまず、自分のために、お守りのように写真を撮っています。
人生の中で外の世界の何に傷つこうと、心を動かすことをやめなくていいし、ずっと光を見ていていい。
何かをうつくしいと感じる心は、誰にも奪えないのだということに、心の底から安心し、その感覚のことを何よりも信頼しています。
世界で起こるその瞬間を見ていたいし、ちゃんと大切に抱えて、その記憶と共に生きていきたいのです。
この頃は、写真だけでなく映像など他の表現にも取り組んでおり、幅を広げることで、より多くの人と心を寄せ合えたらと願っています。
初写真集の出版も予定しており、世界中の人に手に取ってもらえるよう、海外のブックストアなどにも積極的に働きかけていく予定です。
今までたくさんの作品に心を救われてきたように、自分の作品がまた誰かの癒しやお守りになれば、それは幸せなことだと思います、そういう作家でありたいです。
Profile
東京を拠点に活動するフォトグラファー、ビジュアルアーティスト。
ロンドン芸術大学 University of the Arts London にて様々な表現方法に触れるなか、写真に自分との類似性を感じ、本格的に活動を開始。
現在は写真を軸に、アーティスト写真やWeb・雑誌媒体での制作を行う。主に音楽やファッションの分野に携わり、近年はMusic Videoなど映像表現にも取り組む。
静寂のなかに宿る確かなもの、魂や愛のうごき、目に見えないそれらの気配を、ツールを通して表現する。
Instagram:ookkro
水島 貴大氏ミズシマ タカヒロ
環島回憶錄 / Memoirs of Huandao Taiwan
Statement
この作品は台湾全土で街とそこに生きる人々を主題に撮影した写真作品です。私は2020年から台湾へ移住して本作品の撮影を始め、その後2023年に日本へ帰国、それからは往来を繰り返し撮影を継続し、これまで5年間以上の記録となりました。題名「環島回憶錄」は台湾を周回する旅の道「環島・ファンダオ」に由来しています。台湾で人々に広く認識されているこの行為の意義はある種の儀式のようなもので、環島を経てはじめて自らが台湾に生きる一人であると認めることができる、そう考えられています。私は当初、自らのルーツのない彼の地で「そこに生きる人々」を写し撮る事にどこか違和感がありましたが、「環島」を経ることで自分の居場所をつくれるような気がしました。私は写真家なので、時間をかけて台湾全土を周り、そこに生きる事でしか捉えることのできない視線を持って写真を撮り、その作品を私の「環島」にしようと思い撮り続けてきました。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
台湾で暮らしてきた経験もあり、現地で写真に関係する人々とのつながりが広がりました。それを活かした活動をしてゆくことが今後の目標の一つとしてあります。自身の運営するスペースで台湾作家を紹介、交流展を開催するなどが具体例としてあげられますが、それは自分が台湾で同じ事をしてもらった事があり、非常に意義のあることだと感じたからです。日本という枠組みよりも、東アジアという目線で活動を展開していきたいです。自身の作品の今後としては、韓国での作品制作も考えています。ひとつの撮影テーマを定め、台湾、韓国、日本、三つの国で制作することが次回作の構想としてあります。
Profile
写真家、1988年東京都出身。2017年台北で開催された写真イベントPhoto ONE・台北國際影像藝術節のポートフォリオレビューにて最優秀賞を受賞。街とそこに生きる人をテーマに写真作品を制作してきた。生まれ育った街である東京都大田区を撮影した作品「Long Hug Town」を2018年に出版、以後2020年より新たな制作のため台湾へ移住し数年を過ごす。土地を変えながらも継続したテーマを撮影している。国内外の企画展参加、個展開催など多数。東京では2016年よりインデペンデントギャラリーであるTOTEM POLE PHOTO GALLERYのメンバーに参加して独自の発表の場も設けている。
Instagram:mizushimatakahiro
+++ 佳作 +++※五十音順
阿部 高嗣氏アベ コウジ
玄関物語
Statement
約25年にわたり、玄関という限られた空間で家族の日常を撮り続けてきました。海上で暮らす私にとって、写真も育児も遠い世界の話でしたが、カメラを手にしたことで、目の前の営みの尊さに気づきました。
玄関は日々の通過点であり、内と外を繋ぐ境界でもあります。そこでの小さな繰り返しは、やがて大きな循環となり、時空を超えてすべてがつながっていく感覚になりました。写真は現実を写しますが、現実は常に変化を続けるものです。それは「形あるものはすなわち実体がない」という般若心経の「色即是空」に通じます。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
写真は上手い下手ではなく、続けることにこそ意味があります。気負わず、心に素直にシャッターを切ることで、写真の本当の面白さが見えてきます。もしこの作品が誰かに届くなら、「これなら私にも撮れる」と感じてほしい。写真の敷居を下げ、誰もが気軽に楽しみ、発表できるようになることを願っています。
そして何より、「幸せの青い鳥は、今この瞬間、目の前にいる」ということを伝えたい。日々の小さな繰り返しの中に、かけがえのない光が宿っています。
Profile
貨物船の乗組員として海上で生活しながら、娘を授かったことをきっかけに写真を撮りはじめました。
読売写真大賞年間グランプリを2度受賞。
2011年から2018年にかけて、家族と地元を撮影した写真集「しまなみライフ」「島いぬ」「しまなみサイクリング日和」(雷鳥社)3部作を出版。
同写真展(エプサイト、コニカミノルタプラザ)開催。
何気ない日常の中で撮影を続けています。
Note:https://note.com/shimanami24
小野澤 峻氏オノザワ シュン
City juggling
Statement
パフォーマーの僕にとって、写真を撮ることは「見る」という行為をエンターテイメントに立ち上げる挑戦です。
同時に、それはジャグリングで培った身体感覚を新たなメディアで進化させる試みでもあります。
街は無数の出来事が同時多発的に生まれ、消えていく。
その中で周囲のオブジェを操りながら、被写体の物語や歴史、色や形のリズムを拾い上げ、ジャグリングをするように景色の要素をキャッチし、フレームへ投げ返す。僕が撮りたいのは「偶然に転がり込んだ奇跡の瞬間」ではありません。むしろその逆を志向しています。写真は、自分の視点を鍛えて差し出す「パフォーマンスの証拠」でありたい。鍛錬を通して獲得した視点だからこそ見える世界を、「こんな目の使い方があるんだ!」という驚きとして渡したい。ジャグラーであり続けるために写真を撮り、パフォーマーであり続けるために視点を鍛え続けていきます。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
今後は、東京というフィールドを越えて、地方や海外など、まだ自分の身体が知らない土地に積極的に身を投じていきたいです。その土地特有の重力や湿度、音や時間感覚に反応しながら、その場でしか生まれえない瞬間を、即興パフォーマンスとして写真に結実させたい。現代はスマートフォンやPCといった画面に包囲され、物理的な世界との接触が希薄になりつつあります。だからこそ私は、歩き、感じ、撮ることによって身体を丸ごと使い、世界に触れ続けたい。そしてその行為の価値を、展示や執筆、講座など多様な活動を通じて発信していきたいと考えています。様々な表現メディアを横断しながら、世界にパフォーマティブに関わる試みを、これからさらに広げていきます。
Profile
1996年群馬県生まれ。藝術家/ジャグラー。中学でジャグリングを始め、17歳で全国3位となる。その後はプロとして大道芸やステージショーに出演。
現在はジャグリングで培った身体感覚を起点に、彫刻や写真、プロダクトなど領域を横断しながら作品を制作している。
東京藝術大学大学院美術研究科を修了後、「Media Ambition Tokyo」(森アーツセンターギャラリー)、
国際芸術祭「あいち2022」等に出品。2021年には世界を変える30歳未満30人「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出。
Instagram:shun__z
スズキ タイト氏スズキ タイト
General emptiness
Statement
大都市に固有なイメージであるグラフィティを写真に収め、それを国内外7つの地方都市の風景に投影したシリーズ。「どこにでも存在し得る空虚」が本作のテーマです。ここでは、カメラによる引き剥がしと、夜による塗りつぶしという2つの方法でイメージの持つコンテクストが奪われており、そこに生まれる宙吊りとなったイメージを指して空虚と呼んでいます。夜さえ訪れるならばどこにでも存在し得る空虚を作り出すことで、アンチサイトスペシフィックな写真表現の可能性を探求しています。制作には安価なポータブルプロジェクターを用い、その出力の弱さをカメラによる長秒露光で補いました。誰もが手にし得る機材で作品を構成することで、表現技法の普遍性を担保しました。さらにプロジェクトの一環として、プロジェクションの仕組みを伝える「身近なもので作るスマホプロジェクターワークショップ」を開催し、表現の可能性を広く共有する活動も行っています。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
今後の目標は、「General emptiness」を新たな土地へ展開し、その成果をまとめた写真集を出版することです。これまでバックパッカーとして25の国と地域を旅した経験を活かし、海外での作品制作を計画しています。現在は主に日本の「地方と都市」という対比が軸となっていますが、そこに海外の視点を加えることで、テーマをより多層的に掘り下げられると考えています。具体的には、これまで出会ってきた人々との繋がりを頼りに、東南アジアでの展開を予定しています。より長期的には、作品制作とワークショップを活動の両輪として継続・発展させていきます。これにより、写真芸術の可能性をさらに押し広げ、多くの人々に新しい視点や発想を提供し続けることを目指します。
Profile
東京都生まれ。クリエイティブ庶民コレクティブFANFAN主宰。「写真芸術の民主化」をテーマに、誰もが扱える表現手法による作品制作とワークショップによる普及活動に取り組む。主な展覧会に、2025年「中央線芸術祭2025 MUSAKO ART GATE」(小金井宮地楽器ホール、東京)、「DōDATTA?」(Machiaijo gallery、宮城)、2024年「Seeing the world anew ふたたび、新たに、世界を見てみる」(+BASE、東京)など。2024年「第59回神奈川県美術展」写真部門準大賞受賞。
Instagram:taitosuzuki_
X:@taitosuzuki
田中 康晴氏タナカ コウセイ
息往ぬ
Statement
私たち人間をはじめ、肉体をもつ存在の多くは、死を迎えるとゆっくりと土へと還っていく。けれど肉体という"かたち"が消えていくとき、その中に刻まれていた「時間」や「記憶」といった目に見えないものたちは、一体どこへ行くのだろう。
私は、そうしたかたちのないものたちが、まるで皮膚を一枚一枚はがすように剥がれ落ち、この世界にそっと溶け込んでいく様子を想像する。それはきっと、力強くもあり、穏やかでもあるような動きだ。
この想像をきっかけに、身体とはなにか、死とは、そして「わたし」とは何なのかという問いが浮かび上がってくる。問いを抱えながら、この作品では私自らが分解者となって、ひたすらに木に輪郭を彫り、かたちのないものたちを型取り、動きを探り続けた。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
木版画アニメーションは手法そのものの強度が高く、技法的な側面に注目が集まりやすい。さらに、継続的に制作を行う上では、現在も主な狙いとしているわけではないが、手法の新しさだけの評価はされにくくなると考えられる。そこで、より強固なテーマ性を伴った作品づくりや、よりクオリティの高い制作を目指す必要がある。木版画という素材や工程と深く関わるテーマを据え、この手法を選ぶ必然性を持たせたい。制作においては、手を動かす過程で生まれる思考や感覚を大切にし、表現と真摯に向き合う時間を重ねていく。
また、版木という実体を持つ素材の特性を生かし、映像と展示空間が有機的に響き合うような展示の形も探っていきたい。
この先も、日常の中で淡々と制作を積み重ねながら、日々の生活と木版画アニメーションの制作が呼応し合うような関係を築き、ライフワークとして取り組んでいきたいと考えている。
Profile
青森県生まれ。東北芸術工科大学在学中。2023年、画家を研究し、それをアニメーションとして表現するという授業の中で、郷土の作家・棟方志功に注目。木版画アニメーションの制作を始める。木版画という表現技法が持つ肉体的な要素や、版を重ねることで“時間の積層”を表現できることを用いて、実験的なアプローチで「記憶」や「時間」といったテーマに基づいたアニメーションを制作する。
塚本 大輝氏ツカモト ダイキ
もう少し⽣きてみようかな
Statement
⽗の幸せを考えたとき、それは1⼈の幸せではありませんでした。⾝体が動かない⽗の⽣活には、必ず⺟の介護が必要になります。障害者になったことで苦労するのは⾃分だけではないという現実が、毎⽇のように安楽死を考えさせました。私は2⼈の幸せを願い、夫婦写真を撮り始めました。⺟は⽗が倒れた当初、なぜ私がこんな⽬にあわなければいけないのかと、泣いた時もあったと⾔っていました。それでも2⼈で住み続けることを選んだ⺟には、優しさだけではない、⽗と1⼈の⼈間として向き合う覚悟がありました。⺟の介護は⽗次第で変わります。⽗の態度が良ければ優しく、悪ければ多少雑になります。障害という⼤きな壁の前で、⼈間味のある2 ⼈の関係が私に安⼼感を与えてくれました。この関係を表すのに、互いにリスペクトを持った戦いであるボクシングが最適だと思いました。2⼈の活⼒が、たくさんの⼈の⽣きる希望になればと思います。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
写真は私たち家族の関係をより深いものにしてくれました。⽗とは⽂字盤やiPadを使ってのLINEで、撮りたい写真についての会話を重ねました。今後も話し合いを続け、⽗と祖⺟の関係性についても撮りたいです。また家族や夫婦の写真を、障害のある⽅を含め、より広いマイノリティーの⽅々にも広げていきたいと思っています。今回の作品のようなストーリー性を重視した撮影は、これまでの⾏動を肯定してくれたように思います。ボクシングのトレーニングとして、おむつのゴミを蹴る写真を撮影しました。これは⺟が介護にイライラしたときに本当に⾏っていたことです。撮った写真は⺟が⽗に「イライラしたらこうしてるから気をつけや」と喜んで⾒せていました。それも含めてよかったと思います。物語の1つの要素にすることで、過去の話として笑いに変えることができます。その⼈にある志や、特有の空気感を⼤切にしたアルバムを作っていきたいと思います。
Profile
作品展⽰は今回が初めてです。私はこれまで障害者である⽗を撮影してきました。⽗は8年前に脳出⾎で倒れ、動くのは左⼿の親指のみとなりました。家の中だけでの⽣活が続きましたが、近くの公園や甲⼦園球場などへの外出ができるようになりました。電動⾞椅⼦での外出は新鮮で、⽗の笑顔を⾒た時に写真に残そうと思いました。写真の良さをより活かしたいと、憧れであった野球選⼿やギタリストなどの変装写真も撮りました。
⼯夫を凝らせば迫⼒があり、⾝体が動かないことがデメリットになりません。被写体に⾃分の素晴らしさを感じてもらえる、写真を撮られるという⾏為が⽣きがいの1つになる。そういった写真撮影を⽬指してきました。
土屋 尚幸氏ツチヤ ヒサユキ
風景の記憶
Statement
自然の背景には、目に見えるものと見えないものが幾重にも重なり合って存在している。
その可視と不可視の世界が溶け合う曖昧な境界には
自然の神秘や精霊たちの気配が、静かに宿っている。
森の奥には海の記憶が眠り、波の煌めきには山の静けさが溶け込み、
鯨の眼には深い宇宙の沈黙が宿っている。
風景にはいくつもの物語が織り込まれ、生命の循環が静かに脈打つ。
すべては、見えない糸で巡り巡りながら繋がっている。
私たちもまた、その大いなる流れの一部として存在している。
風景の記憶に耳を澄ませば、自然の神秘が感じられる。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
「自然の神秘」を永遠のテーマに、写真と映像の両面から表現を重ねています。
写真では、人や自然の中に宿る気配や普遍的な光を見つめ、映像では、時間の流れや音、光の揺らぎに耳を澄ませながら、静と動のあわいに息づく生命のリズムを探っています。
写真と映像が響き合う新たな表現を通して、自然と人とのつながりを、見つめ直していきたいと思います。
Profile
サンフランシスコの美術大学ファインアート写真学科を卒業後、出版社のスタッフフォトグラファーを経て2003年に独立。これまでキヤノンギャラリーなど各地で個展を開催し、ナショナルジオグラフィック国際写真コンテスト最優秀賞を受賞。映画『二つ目の窓』水中撮影や、NHK大河ドラマ『西郷どん』メインビジュアル撮影を担当しAPA広告作品入賞など幅広く活動。永遠のテーマは「自然の神秘」。万物に宿る魂、内側に存在する普遍的な光を独自の視点で捉え、力強く生命の輝きに溢れた作品を撮り続けている。
Instagram:charfilm
ホームページ:www.charfilm.com
中村 光男氏ナカムラ ミツオ
2 to 1
Statement
2024年12月、交通事故に遭い、左腕に後遺症が残ることとなりました。
動かなかった腕や手も、数回の手術とリハビリを重ね少しずつ回復しています。
回復につれて、体験したいくつかの記憶や感情が薄れていくのを感じます。
それらを忘れないためにこの作品を作りました。
制作にあたり、今回の体験を「恐怖、不安、苛立ち、感謝、気付き」の5つに分けて整理しました。その中から、この作品では「苛立ち、感謝、気付き」に焦点を当てています。
自分の人生において「後遺症を抱えるような事故に遭う」という日が来るとは想像もしていませんでした。
見ず知らずの誰かが、自分をトラックの下から引っ張り出してくれました。
救急隊の人が自分の右手をずっと握ってくれました。
誰がいつどの立場になるか分かりません。
紙を抑える事が出来ない人がいたら、そっと抑えてあげられる人になりたい。
個の垣根を超える社会に、願いを込めて。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
今回、GRAPHGATEに応募した理由は「事故に遭った自分と向き合うため」です。
交通事故の経験、作品制作、そしてプレゼン選考を通して、さまざまな気づきを得ることができました。
その一つが「些細なことの大切さ」です。
当たり前だと思っている日常の行為や出来事を見直すきっかけとなるような作品を、今後も作り続けていきたいと考えています。
また、プレゼン選考では、多くの方々が多様な形で創作活動を行っていることを知り、自分がいかに凝り固まった思考をしていたのかを実感しました。
これからは、より自由な発想で、自分らしい作品づくりに取り組んでいきたいと思います。
Profile
【経歴】
・報道番組の制作会社に勤務
・退職後、フリーランスとして映像活動開始
・仕事とは別に作家としての創作も行う
・アーティスト集団「Crossings」のメンバーとしても活動
【受賞歴】
2024 Tokyo Camera Club Movie Creators Award 受賞
2017 EAST-WEST ART AWARD 映像部門 準グランプリ
2014 横濱HAPPY!!MUS!C映画祭 短編部門 最優秀賞
【SNS】
Instagram:image320n
X:@n3201000
蓬台 祐希氏ホウダイ ユウキ
大豊へおいで。
Statement
この作品は、高知県庁が東京と大阪で開催している移住促進イベントにて、大豊町のブースで流した映像になります。
「大豊町で暮らしたい」と思ってもらえるためには、どのような映像の構成が良いか。
夏は暑さが、冬は寒さが厳しく、はっきりとした四季が作り上げる壮大な「自然」。
何百年、何千年にも渡って守られてきた「文化や伝統」。
地域の住民同士で、和やかな関係性のもとで営まれる「暮らし」。
この3つは、他の地域に似たものはあっても、全く同じものはありません。
この3つを作品の中に丁寧に織りなしていき、
大豊町で暮らしていくことがイメージできるように作品を製作しています。
映像に出てくるのは、大豊町の魅力の本当の一部でしかありません。
この作品を見た方が、大豊町に来ていただき、
ここの魅力を感じていただきたいと思っています。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
「夢を叶えられる場所」として都会へ向かう方が多いですが、地方も都会に負けず「夢を叶えられる場所」です。
僕の「地方で映像クリエイターになりたい」という夢も、少しずつ叶ってきています。
その証として、今回の作品を製作しました。
これまで1人で活動することが多かったのですが、これからは、デザイナーさんやマーケターの方々とチームで取り組み、地域のクリエイティブを一括して任せていただけるような存在になっていきたいです。
クリエイティビティだけではなく、売上額や利益のような数字も追い求め、働く場所が少ない山奥に新しい職場を作り出し、チーム一丸で地域の未来を作り続けていきたいです。
Profile
1997年、大阪府出身。2020年に趣味で始めたカメラに熱中し、クリエイターへの憧れを抱く。2022年に高知県へ移住し、クリエイターとしての活動を始める。現在は、地方の未来を描き、都会だけではなく地方でも夢を叶えられることを体現するために、大豊町役場の会計年度任用職員をしながら、個人事業主として主に地域プロモーション関係の動画製作や写真撮影を行っている。
Instagram:hodai_cinema
山野 彰太氏ヤマノ ショウタ
ナイトフロー
Statement
私は夜が好きだ。
誰も居ない街をよく歩き回る。街灯や信号機は、誰も居ない場所でも変わらず動き続ける。
人のためにそれらが存在する故に、誰も居なければそれらがそこに存在する意味は無い。
だがそこには私が居る。
「私」のために信号機は点滅し、「私」のために街灯は道を照らす。
空っぽだったそれらの存在意義は、今や「私」となっている。
こんな簡単に在り方が変わってしまうそれらは、存在に対し説得力の無い、中身のないハリボテのように見える。「在る」とは何なのか。
今作では「本質に伴う存在」と「夜」を掛け合わせたテーマとなっています。
夜を徘徊した時に感じる不思議な感覚を「存在」という視点から考察した作品です。
しかしその一方で、哲学の「本質論」の考えをもとに、「モノ」についての存在意義や人との関係性にも触れた作品になっています。
〈今後どのような写真・映像活動を行っていきたいか〉
作品としては、今後も存在についてをテーマにしたいと思っています。
今作では存在における本質とは何か、を考察しましたが、次は本質を持たない存在について考えています。
本質とはそのモノの核となる性質です。しかしそのモノを認識するにあたって本質は「先入観」ともなります。本質を持たない存在というのは、何よりも認識する側の「先入観」が無くなるものではないかと考えています。そうなった時、その純粋無垢な存在は何を見せてくれるのか、そこに興味があります。
活動としては、展示の機会を増やしていきたいと考えています。
作家を目指すにあたってはまだまだ展示経験が少なく、多くの人に知ってもらうという目的や、インスタレーションの作品発表においても、今後はそういった活動に力を入れていきたい思っています。
Profile
2002年生まれ、大阪府出身。
京都精華大学 芸術学部 映像専攻を卒業。
大学入学と同時に映像制作を始める。主に実験映像的な作品を制作しているが、他にも映像とを掛け合わせたインスタレーションも制作している。
一連のテーマとして死生観が主な軸にある。生きることは大変なことや苦しいことの方が多い。仕事、人間関係、社会。今すぐにでも投げ出したいことは山ほどある。
しかしそれらに向き合ってでも自分は生きようとする。矛盾を持ったまま生きている自分に疑問が湧く。
そんな疑問を内省し、その一種の答えを作品として残している。
Instagram:shota_yamano










































































