本橋 成一「上野駅の幕間」
1960年代より、炭鉱や魚河岸、大衆芸能、被災地など、市井の人々の生きざまをテーマにした作品を数多く発表してきた本橋成一氏。
本展では、本橋氏が1980年代に北の玄関口である上野駅に通い、撮影した作品を展示。出稼ぎの人や転勤するサラリーマン、修学旅行の学生たち、出迎える人に見送る人。多種多様な人たちが集い、そこで繰り広げられる人間ドラマ。本橋氏の作品から、そうしたさまざまなドラマが感じられる。
会期 | 会場 |
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2014年3月20日~2014年5月2日 | キヤノンギャラリー S |
作品・展示風景
作家メッセージ
ぼくが上野駅に通い出したのは、1979年東北新幹線の大宮―盛岡間が開通する三年前のことだった。ぼくは東京生まれの東京育ちだから"あゝ上野駅"のような想いもノスタルジックな感情ももってはいない。日本は高度経済成長期を迎え、高速道路や新幹線が次々と開通し"豊かに"なっていった。気が付いたら日本中の駅も、速さと効率を求める駅へと変わっていった。
写真の仕事をはじめたころ、ぼくは弁当持参で出掛けるとよく上野駅に行った。どこで弁当を広げても人の目が気にならないからだ。ぼくは駅はひとつの広場だと思っている。明るく分かりやすく、駅を利用する人をいかに合理的に運ぶだけが駅の役割ではない。確かに上野駅は、継ぎたし継ぎたしの建物で、じつに無駄な空間の多い駅舎だったのかもしれない。しかし、その不都合さがあの「駅らしい駅」のたたずまいを生んでいたのだと思う。
出稼ぎの人びと、転勤するサラリーマン、修学旅行の学生たち、出迎え見送る人たち、キヨスクのおねえさんたち、駅員さんたち、そしてこの駅を住処にしている人たち…この多種多様な人たちが、みなそれぞれに駅で居心地のよい空間をつくりだしていた。安心感があって、みんなが集まれる。駅はそこに集う人によってつくられるのだ。そしてそこから毎日たくさんの幕間が生まれていた。
あの撮影から三十年経ち、キヤノンギャラリー Sで写真展を開催します。残念ながら、もう上野駅はどこでも弁当が広げられる駅ではなくなってしまいました。
ぼくがかつて出会った上野駅の幕間、ゆっくりとご覧ください。
作家プロフィール
本橋 成一(もとはし せいいち)
写真家、映画監督
1940年東京生まれ。68年「炭鉱〈ヤマ〉」で第5回太陽賞受賞。以後、サーカス、上野駅、築地魚河岸、大衆芸能など、市井の人々の生きざまに惹かれ写真に撮り続ける。95年「無限抱擁」で日本写真協会賞年度賞、写真の会賞を受賞。98年「ナージャの村」で第17回土門拳賞受賞。同名のドキュメンタリー映画は文化庁優秀映画作品賞を受賞したのをはじめ、海外でも高い評価を受ける。2作目の映画監督作品「アレクセイと泉」で52回ベルリン国際映画祭ベルリナー新聞賞および国際シネクラブ賞ほか受賞。02年東京都写真美術館でチェルノブイリ三部作「ナジェージダ〈希望〉」展を開催。04年ロシア国立図書館の招聘によりサンクトペテルブルクで「ナジェージダ〈希望〉」展を開催。07年クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン(東京)にて『タイムトンネルシリーズVol.24 本橋成一「写真と映画と」』開催。13年写真集「屠場〈とば〉」「上野駅の幕間」新装改訂版で日本写真協会賞作家賞を受賞。最新作は写真集「サーカスの時間」新装改訂版。
主な著作
- 1968年
- 「炭鉱〈ヤマ〉」(現代書館)
- 1987年
- 「ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界」(晶文社)
- 1988年
- 「魚河岸 ひとの町」(晶文社)
- 1989年
- 「サーカスが来る日」(リブロポート)
- 1990年
- 「老人と海」(朝日新聞社)
- 1993年
- 「砂の旅人」共著(駸々堂)
- 1995年
- 「無限抱擁」(リトル・モア)
- 1998年
- 「ナージャの村」(平凡社)
- 2002年
- 「アレクセイと泉」(小学館)
- 2004年
- 「生命(いのち)の旋律~本橋成一が撮る人間の生き様集~」(毎日新聞社)
- 2009年
- 「バオバブの記憶」(平凡社)
- 2010年
- 「昭和藝能東西」(オフィスエム)
- 2011年
- 「屠場〈とば〉」(平凡社)
- 2012年
- 「上野駅の幕間」新装改訂版(平凡社)
- 2013年
- 「サーカスの時間」新装改訂版(河出書房新社)
著作権について
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