比嘉 康雄・東松 照明『キヤノンフォトコレクション展「琉球・沖縄 2人展」』
琉球の風土に根ざした祭祀を通じて日本人を探求し続け、多くの写真を残した比嘉康雄氏。
日本に点在する米軍基地を追い続ける中で、1972年に沖縄に居を移した東松照明氏。本展では、東松氏監修のもと、比嘉氏の膨大なネガを見直し、その集大成としてまとめ上げた「琉球の祭祀」と、沖縄復帰前後の米軍基地と日本人とのかかわりをとらえた東松氏の「チューインガムとチョコレートin沖縄」で構成された約160点の作品を展示。
会期 | 会場 |
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2008年10月24日~2008年12月16日 | キヤノンギャラリー S |
作品・展示風景
作家メッセージ
比嘉康雄は、琉球の祭祀を、深く広く掘り下げ、撮り続けてきた写真のトップ・ランナーである。康雄は、1995年の日記に「沖縄の文化の古層を掘り下げることこそ、人間とは何かという普遍性に至るのだと、これも又ほとんどドンキホーテ的に純粋に思い込んでいることは確かである」と書いている。ところが、2000年、康雄は逝去した。享年61歳、トップ・ランナーの突然の死である。
私は、日本の戦後史の特長はアメリカニゼーション、と語ってきた。これまで、日本列島に点在する米軍基地を撮ってきたが、1969年に初めて渡沖、「沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある」といわれた米軍基地を周辺の町を撮った。それから40年が過ぎたいま、国土の0.6%しかない小さな島に、日本列島に点在する米軍基地の75%が集中している。「基地の中に沖縄がある」様相はほとんど変わっていない。(東松 照明)
作家プロフィール
比嘉 康雄(ひが やすお)
- 1938年
- 移民の子としてフィリピンに生まれる。
- 1946年
- 沖縄に引揚げる。
- 1958年
- コザ高校卒業後警察官となり写真をはじめる。
- 1968年
-
嘉手納警察署で勤務中、B52爆撃機が墜落炎上。
これを転機に職を辞し、本格的に写真を志す。 - 1971年
-
東京写真専門学院卒業。写真展「生まれ島沖縄」(銀座ニコンサロン)開催。
カメラ毎日に「生まれ島沖縄」を発表。 - 1973年
- 谷川健一氏と出会い宮古島「祖神祭」を見て衝撃を受け、ライフワークとして琉球弧の祭祀世界の記録をはじめる。
- 1975年
- 西銘シズ氏と出会い、以来久高島の年中祭祀を丹念に記録。
- 1976年
- 「おんな・神・まつり」で第13回太陽賞受賞。
- 1977年
- 那覇市西のラ・ボーラで、比嘉康雄×東松照明×平良孝七を囲む写真論議。
- 1979年
- 写真集「神々の島 沖縄久高島のまつり」刊行。
- 1981年
- 沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞。
- 1989年
-
「神々の古層」刊行開始、1993年全12巻完成。
同年日本写真協会年度賞受賞。 - 1991年
- 明治学院大学 非常勤講師となる。
- 2000年
- 5月13日逝去。享年61歳。
「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」刊行、遺作となる。
比嘉康雄回顧展「光と風と神々の世界」
(那覇市民ギャラリー)のカタログより
東松 照明(とうまつ しょうめい)
- 1930年
- 愛知県名古屋市生まれ。
- 1954年
- 愛知大学卒業後、上京し岩波写真文庫のスタッフとなる。
- 1956年
- フリーランスとなる。
- 1958年
- 第1回日本写真批評家協会新人賞受賞。
- 1959年
- 奈良原一高、佐藤明、細江英公、川田喜久治、丹野章らとセルフエージェンシーVIVOを結成。
- 1966年
- 写真集「〈11時02分〉NAGASAKI」を刊行。
- 1972年
- 沖縄に移住。
- 1975年
-
写真集「太陽の鉛筆」を刊行。
同書により第17回毎日芸術賞、第26回芸術選奨文部大臣賞を受賞。 - 1981年
- 「いま!!東松照明の世界・展」全国巡回。
- 1998年
- 長崎に移住。
- 1999年
- 「日本列島クロニクル-東松照明の50年」(東京都写真美術館)
- 2000年
- 「長崎マンダラ」(長崎県立美術博物館)
- 2002年
- 「沖縄マンダラ」(浦添市美術館)
- 2003年
- 「京マンダラ」(京都国立近代美術館)
- 2006年
- 「愛知曼荼羅」(愛知県美術館)
- 2007年
-
「Tokyo曼荼羅」(東京都写真美術館)
「南島・東松照明」展(ギャラリー新居)のカタログより - 2012年
- 逝去
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