植田 正治・木村 伊兵衛・薗部 澄キヤノンフォトコレクション 特別展 第1部 秋山 庄太郎・岩宮 武二・林 忠彦キヤノンフォトコレクション 特別展 第2部
キヤノンクラブの設立50周年を記念したイベント「キヤノン フォトフェスティバル in SHINAGAWA」の一環として実施された特別展。
キヤノンフォトコレクションに収蔵されている作品の中から、6名の写真家の作品を2部に分けて展示。第1部では、植田正治氏、木村伊兵衛氏、薗部澄氏、第2部は秋山庄太郎氏、岩宮武二氏、林忠彦氏。日本写真界の黎明期から写真文化をつくり上げた巨匠たちのオリジナルプリントを公開。
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2004年11月2日~2004年11月28日 | キヤノンギャラリー S |
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2004年12月1日~2004年12月25日 | キヤノンギャラリー S |
作品・展示風景
キヤノンフォトコレクション 特別展 第1部
キヤノンフォトコレクション 特別展 第2部
作家プロフィール
植田 正治 (うえだ しょうじ)
植田正治は鳥取県境港市に生まれ、その後、山陰の地にあって独自の作風を確立した写真家である。 砂丘を舞台に撮影された家族やセルフポートレートなど数々の作品は、記念撮影のスタイルをとりながらも、氏の被写体に対する独特の感性、"間"が生かされた 造形美をみることができ、見る者に強い印象を与える。
略歴
- 1913年
- 鳥取県西伯郡境町(現境港市)に生まれる。中学3年生のころから写真に夢中になる。
- 1932年
- 上京し、オリエンタル写真学校に入学。卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。このころより、写真雑誌や展覧会に次々と入選し、頭角を現していく。
- 1949年
- 砂浜や砂丘を舞台とした作品で高い評価を得る。
- 1975年
- 日本写真家協会年度賞受賞。
- 1989年
- 日本写真協会功労賞受賞。
- 1995年
- 9月23日 鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。
- 1996年
- フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。
- 2000年
- 7月4日 逝去。
木村 伊兵衛(きむら いへえ)
木村伊兵衛が全力で取り組んだ作品「秋田」。
昭和27年「秋田綜合美術展覧会」の審査をきっかけに、20年間にわたり県内各地を訪ねた。
使用したモノクロ・フィルム319本、約1万1000カットの写真のなかから数々の名作が残されている。
その他戦前の那覇の市場や、戦後の東京のスナップなど、貴重な写真も展示。
略歴
- 1901年
- 東京下谷金杉上町に生まれる。京華商業学校卒業。
- 1932年
- 野島康三、中山岩太と月刊雑誌『光画』を発刊。
- 1933年
- 名取洋之助、原弘、伊奈信男らと日本工房を設立。
- 1947年
- サン・ニュース・フォトスに入社。「週刊サン・ニュース」の写真を担当。
- 1950年
- 日本写真家協会が設立され、初代会長に就任。
- 1955年
- 「木村伊兵衛外遊写真集」を出版。第3回菊池寛賞受賞。
- 1968年
- 紫綬褒章受章。
- 1974年
- 5月31日 逝去。
- 1975年
- 朝日新聞社が、とくに新人写真家を対象とする「木村伊兵衛賞」を創設。
薗部 澄(そのべ きよし)
昭和22年から続く氏の撮影行。つねに自然との関わり合い、人々の暮らしの場としての日本の風景に目を向け、日本人の原風景ともいうべき"ふるさと" を精力的に記録したカラー作品。
急激な近代化のなかで、変貌をとげる人々の暮らしぶりをありのままに写しとった作品は、氏の心に残る大切な"ふるさと"でもある。
略歴
- 1921年
- 東京に生まれる。
- 1943年
- 東方社入社。
- 1947年
- サン・ニュース・フォトス入社、「週刊サン・ニュース」に携わる。
- 1957年
- フリーランスの写真家となる。
- 1968年
- 「日本の民具」全4巻(慶友社)、「黒川能」(平凡社)により日本写真協会年度賞受賞。
- 1989年
- 「忘れえぬ戦後の日本」(東・西日本編ぎょうせい)により日本写真協会年度賞受賞。
- 1995年
- 「冬 日本海」「冬 北海道」(日本カメラ社)により第45回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
- 1996年
- 3月5日 逝去。
秋山 庄太郎(あきやま しょうたろう)
「幼いころから花に親しみ、中学時代、見よう見まねで、生け花に挑戦しているくらいだから、 私の花志向は本質的な花の色彩美、造形美に接近する必然性があったと思う」と、かつて自叙伝で語っていた秋山氏。
終戦の翌春、写真界に身を投じ、人物写真家として定評を築いた氏は、45歳を機に、 花をテーマに撮影を開始。それまでの仕事としての撮影に加え、ライフワークとして花の美を追求した。
略歴
- 1920年
- 東京・神田に生まれる。
- 1943年
- 早稲田大学商学部卒業。
- 1947年
- 近代映画社写真部に入社。写真集団「銀龍社」を結成、会員となる。
- 1951年
- 近代映画社写真部を退社。フリーランスとなる。
- 1953年
- 二科会写真部創立会員となる。
- 1958年
- 日本広告写真家協会(APA)創立会員となる。
- 1971年
- 日本広告写真家協会会長に就任。日本写真協会常務理事に就任。
- 1974年
- 講談社出版文化賞受賞。
- 1980年
- 「花の会」を結成、会長に就任。
- 1986年
- 紫綬褒章受章。
- 1993年
- 勲四等旭日小綬章受章。
- 2003年
- 1月16日 逝去。
岩宮 武二(いわみや たけじ)
元来仏教用語である"結界"。
生活のなかになにげなく溶け込む暖簾、障子、または寺院の山門など内と外、聖と俗をわかつ物的な装置のことを意味している。
そこから垣間見られるのは、現在の日本人が忘れかけた、心のけじめに対する意識・無意識の拠り所であろうか。
その"結界の美"を記録した作品である。
略歴
- 1920年
- 鳥取県米子市生まれ。
- 1946年
- フリーランスカメラマンになる。
- 1959年
- ハワイ・アメリカ撮影旅行。
- 1962年
- 「かたちI・II」にて日本写真協会作家賞受賞。
- 1965年
- ヨーロッパ撮影旅行。
- 1966年
- 「京 Kyoto in Kyoto」にて毎日芸術賞受賞。
- 1968年
- ヨーロッパ撮影旅行、韓国撮影旅行。
- 1969年
- <宮廷の庭>I・II・IIIにて芸術選奨文部大臣賞受賞。
- 1970年
- 韓国撮影旅行。
- 1971年
- ユネスコ委嘱による<仏像のイメージ>出版のためアジアを取材。
- 1972年
- 「Imperial Gardens of Japan」にて第4回国際出版文化賞受賞。
- 1989年
- 「アジアの仏像」にて日本写真協会年度賞受賞。
- 1989年
- 6月26日 逝去。
林 忠彦(はやし ただひこ)
「いつか東海道を記録したい」。
加速度的に失われていく江戸時代の面影を残しておきたいという氏の30年来の宿願をかなえた作品が、 今回展示する「東海道」である。
度重なる病魔と闘い、残り短い時間のなかで四男義勝氏とともに精力的な取材を行い、まとめられた執念の遺作でもある。
略歴
- 1918年
- 周南市(旧徳山市)幸町に生まれる。家業は営業写真館。
- 1938年
- オリエンタル写真学校卒業。
- 1942年
- 華北広報写真協会を結成、報道カメラマンとして中国で撮影活動を行う。
- 1948年
- 日本写真家協会の母体のひとつ「写真家集団」発足に参加。
- 1953年
- 二科会写真部の創立会員となる。
- 1971年
- 日本写真協会年度賞受賞。
- 1979年
- 毎日芸術賞、日本写真協会年度賞受賞。
- 1983年
- 紫綬褒章受章。
- 1988年
- 勲四等旭日小綬章受章。日本写真協会功労賞受賞。
- 1990年
- 12月18日 逝去。
著作権について
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