[ 夢無子 ]
【コロナ前】
2019年の2月、初めて「SHINES(シャインズ)」を知ったのはミャンマーの難民キャンプにいた頃だった。アートディレクター、CMプロデューサー、様々なジャンルの選考委員が各々一人を選出し、造本家の町口覚さんと写真集を作るんだ! という写真家オーディション。今まで全くコンテストに興味のなかった私が一目惚れした。写真を何かに応募するのも初めてだった。
2020年の3月、6年間ずっと世界を放浪し続けていた私が日本に戻ってきた。㈱玄光社統括編集長川本康さんと代官山 蔦屋書店アートコンシェルジュ江川賀奈予さん2人からトロフィーを渡され、SHINESの写真集を作ることになった。
【コロナ】
2020年4月、緊急事態宣言、Black Lives Matter、香港デモ、世界がオフボタンを失ったモンスターのようにいっぺんに暴れた。コロナという完全未知なものに出会った私たち、三密しちゃいけない、打ち合わせできない、この状況でも写真集作るの?笑。誰も先が見えない、答えがない。それより「世界はどうなる?」「アーティストはこんな時何ができる?」「そもそも地球にとって人間いない方がいいんじゃない?」膨大な解けない質問を抱えていた。
2020年8月、私は北海道のメロン農園に向かった、とりあえず脳より体を動かそう! という自救行為だった。毎日、多くの情報と向き合うより、汗、太陽、植物、風、蝉の声と向き合った。ある日森の中で死んだ鹿と出会った。丸ごと残っていた死体が二日後全部ハエに食べられてキレイに骨だけになり、さらにその三日後、骨すら無くなって、何もなかったかのように有から無、無から有に輪廻した。そのシーンから私の「コロナ」が一気にRainbowカラーになった。悪も善も、美しいのも、汚いのも、全てこの宇宙の輪廻のために必要な栄養だ。それを写真集のテーマにするか?
2020年10月、寒いメロン倉庫で200枚の写真を並べ始め、町口さんに1回目のボールを投げた。
【コロナ後?】
2021年4月、コロナは終わっていないけど、町口さんを誘ってトークイベントをやった。2回目のキャッチボールによって完全に写真集のゴールを失い、ゼロに戻った二人。「お前は写真を撮ってこい! ギリギリまで待つから」
2021年5月、1年間ほぼカメラを触っていない私。日本の南へ向かい旅立った。人間しか撮っていなかった私が完全に人間に興味を失い、写真に不安、揺れ、世界、未知、抜ける、沈む、が表出する。驚くほど写真が変わっていた。
2021年9月、4ヶ月後、800枚の写真を町口さんに送った。一緒に送ったノートには「せっかくコロナと出会った私たち、全世界みんな同じ思いをすること、この時代性を大事にしたい」と書いて。3回目のキャッチボールで私と町口さんが一瞬でハイタッチした。そして写真選び。手塩にかけ、紙、枚数を写真集という箱の中に閉じ込め、漬物のように発酵を始めた。
2021年10月、京都現代美術館のキュレーター梶川由紀さんとコラボしたSHINES写真展の初日。日本の国宝ダンサーと言っても過言ではない、アオイヤマダと銀座のキヤノンギャラリーでシューティングパーフォーマンスをやった。コロナ以来2年ぶりに人間を撮った。
2021年12月、町口さんと発酵させていた写真集もそろそろいい匂いが出てきた。玄光社とさらにコロナ限定の大量な柚子胡椒flavor漬物も発酵して行く予定なので、お楽しみに。
このコロナと真正面に向き合い続けた私たち、どんなSHINESとして完結するか?
2022年、蓋をあけにきてください!
2021.12.5 夜1:55 Visual Artist 夢無子