TranCis
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about
古見きゅう (ふるみ きゅう)
1978年生まれ。東京都出身。本州最南端の和歌山県串本町にて、ダイビングガイドとして活動したのち写真家として独立。独特な視点から海の美しい風景だけでなく、海の生き物たちの暮らしや繋がり、海の環境問題など、水中のありのままのドキュメントを作品とし、ナショナルジオグラフィック誌からビッグコミック誌まで、幅広いジャンルの媒体で水中写真をコラムや記事で発表する。近著に『海の聲をきく』(小学館)、『世界でいちばん素敵な魚の教室』(三才ブックス)を発行し、写真展も多数。2016年には水中撮影プロダクション「And Nine株式会社」を設立。近年は、8K高解像度の水中映像作品制作も精力的に行い、企画、撮影、編集まで一括して担う。大手企業のPVや大型商業施設、テレビ番組などへの映像提供も数多い。NHK『ダーウィンが来た!』、MBS『情熱大陸』など、人気番組への出演および撮影も行う。
幼い頃から、たびたび体感してきた“ある感覚”があった。
「世界のあっち側とこっち側」のような、
自分の存在が分からなくなるような感覚。
「自分は何のために生きるのか?」
「なんでここにいるのか?」
「自分の存在って本当に在るものなのか?」
「いま目に飛び込んでいる世界自体、
全部嘘か夢なんじゃないのか?」
人と魚。つまりは僕たちと自然との関係とは、
一体何なのだろう。
向こうから見た景色と、こちらから見えた景色の違い。
陸上の世界と、水中の世界の区別。
生きることと、死んでいくという表裏の連続性。
ずっと一緒にいたいけれど、いられないという寂しさ、
そして矛盾。
時々海の中から見上げると、雲が綺麗に見える時がある。
この隔たりがあるからこそ、
ここにいる魚たちをこんなにも愛しく思えるのかもしれない。
水面という境界を潜り抜け、
行き来を繰り返しながら、
魚たちの世界に、彼らに見えている景色に少しでも近づき、
彼らの存在を少しでも理解したいと願っている。
「世界のあっち側とこっち側」のような、
自分の存在が分からなくなるような感覚。
「自分は何のために生きるのか?」
「なんでここにいるのか?」
「自分の存在って本当に在るものなのか?」
「いま目に飛び込んでいる世界自体、
全部嘘か夢なんじゃないのか?」
人と魚。つまりは僕たちと自然との関係とは、
一体何なのだろう。
向こうから見た景色と、こちらから見えた景色の違い。
陸上の世界と、水中の世界の区別。
生きることと、死んでいくという表裏の連続性。
ずっと一緒にいたいけれど、いられないという寂しさ、
そして矛盾。
時々海の中から見上げると、雲が綺麗に見える時がある。
この隔たりがあるからこそ、
ここにいる魚たちをこんなにも愛しく思えるのかもしれない。
水面という境界を潜り抜け、
行き来を繰り返しながら、
魚たちの世界に、彼らに見えている景色に少しでも近づき、
彼らの存在を少しでも理解したいと願っている。
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まだ陽の低い、熱帯の島の朝が好きだ。
特別に何かを狙って撮るというよりも、
カメラを持って眠気覚ましに歩いている時間が心地よい。
漂う緑の空気は深く濃い。
遠くで響く鳥たちの囀りに耳を傾け、
このねっとりとした湿度を感じながら、
反射的に能動的にシャッターを切る。 -
いつも通り撮影に集中していたら、
みるみるうちに太陽が雲にのまれ、
海中は漆黒の世界に染まっていった。
どうやらスコールが
僕らの頭上を通過したようだ。
雨が叩く水面の裏側には、
無数の波紋が
小さく浮かび上がっては消える。
音の少ない海の中で聴く雨音も、
悪いもんじゃない。 -
ウミトサカという柔らかいサンゴの仲間は、
ポリプと呼ばれる触手部分が非常に色鮮やかなものが多く、
非常に好みの被写体だ。これまでは鮮やかな、
そのポリプの色だけに意識を持っていかれていたが、
ある時、幹部を透過する光に気がつき、
その透明感に感動させられた。 -
狭い水中の洞窟の中に
差し込む陽の光が美しい。
雲の動きの加減で
光の筋の強弱も変わっていく様は、
生き物の表情を眺めているよう。
じっくりと時間をかけながら
光芒を捉えていると、
己の美しいヒレを誇示するように、
ハナミノカサゴが
フレームに入り込んできた。 -
なるべく自分の目で見える景色を、
そのまま写真に写し込みたいと思う。
水が青く透き通っていても、
緑に濁っていてもかまわない。
目の前にある景色をあるがままに写し、
生き物たちがのびのびと生きる様を
表すことができたら嬉しい。 -
ひと夏の間、ずっと潜りに潜って少し疲れた午後のこと。
早めに潜水を切り上げひとり水面に浮上し、
ぷかぷかと浮かびながら、泳ぎもせず凪の海を漂っていた。
コバルトブルーの海は美しく、
ダイバーたちは嬉々として
海中を楽しんでいたが、
同時に、一輪の泡に夏の終わりを感じた。