日本から世界へ。トーストアートに宿る、食の美と自由な世界観を開放する。
公開日:2021年3月31日
最終更新日:2021年11月25日
浮世絵や枯山水、ピカソや幼い頃に誰もが通った絵本の主人公まで。食パンをキャンバスに見立てて彩られるモチーフたちには、見る人をぐいっと引き込む引力があります。それは食材の色やかたちを、瑞々しい感覚で「観察」するアーティストの佐々木さんの感性によるもの。「新しい自分」と出会うための、いまやかけがえのない習慣になったと話す彼女の生き様とも言える、トーストアートについて話を伺いました。
PROFILE
こんにちは、新しい私
心の忙しさや余裕のなさから、つい見過ごしてしまうもの。
暮らしの中にある美しさ。
それは、身近な食材がもつ美しさにも言える。
2020年の春から生活リズムは一変してしまった。世界中が未曾有の危機に襲われ、日本でも厳しい外出制限が強いられた。私も在宅仕事を余儀なくされた。
公私全てが家の中で完結する。そんな生活では、オンとオフのスイッチを切り替えるタイミングがない。ずるずると毎日がつながる感覚を覚え、このままでは心が疲れてしまうと思った。
暮らしになにか新しいエッセンスを加えられないだろうか。たとえば、朝起きるのがたのしみでたまらなくなって、一日のはじまりを新鮮に迎えられるような、私のための習慣。
そこで目についたのがキッチンに置かれた食パンだった。
そもそも私は料理が得意じゃない。レシピ通りに作れず、適当に手を動かしてしまう。けれどトーストなら手軽。次の日から朝の一枚を焼き始めた。
朝食づくりと禅
禅の精神性を表す「枯山水」をテーマにしたトーストを焼いたのは、この新習慣をはじめたばかりの頃。食パンの上で静かに線を引く動きそのものが、非日常に戸惑う自分の心を鎮めて、時間の感覚がなくなるほど作業に没頭させた。
材料選びでは、スーパーマーケットの店員さんに怪しがられるほどに、じっくりと食材を観察した。そこで見つけたのがマカダミアナッツとサワークリーム。
カラッと乾燥していて、微妙な凹凸があるナッツは岩の魅力と重なる。静寂に広がる枯山水の砂地はサワークリーム。酸味と混じり気のないテクスチャは、枯山水で表現される海や川を彷彿とさせる。こちらは温度変化に敏感な食材のため、室温が暖かすぎるとクリームが溶けて角がなくなるが、逆に室温が低いとボロボロとした硬い表面で砂紋が引けない。
この食材の扱いづらさは、案外とてもよかった。実際に枯山水の砂紋を引く作業も、やり直しがきかない。線を引くために細工したコームの断片をもって、すすす……と腕を動かす。たった1度きりの作業だ。食材との呼吸を合わせるようなその感覚は、静かな朝に熊手をもって線をひく僧に近い。全ての線を引き終えた時、煩悩がすっと抜けて「ああ、この感覚を私は求めていたんだな」と思ったのを覚えている。
禅を表す枯山水のトーストに限った話ではない。作品を生み出す過程は、食材と向き合いその美しさに衝き動かされるような、ことばのない対話なのだ。
食材の魅力をかたちづくる
目の前にある食材の美しさを、どうかたちづくるか。
たとえばブルーベリーの美しさは、個体ごとの色のニュアンス、頭からお尻にかけてきゅっと力が集中するフォルム。そして、切れば薄い皮の隙間からうるうると滴る果汁などに見つけられる。
それらの美しさ全てを盛り込もうとはしない。美しさをダイレクトに表現するために、数ある美しさの中から焦点を絞る。浮世絵をテーマにした作品もそうして生まれた。
インスピレーションを得たのは、紫キャベツの断面。芯の強い葉がつくる曲線の層に見惚れた。それは日本画で描かれる着物の重なりに通じる、凛とした美しさである。
チュキチュキとした質感のパプリカ、カサカサした桜海老。食材の質感は無限にある。食材の魅力を削がないよう、包丁を入れる厚みや大きさにもそれぞれこだわる。
多様な質感と厚みが敷き詰められる様子は、色とりどりの着物の生地が隙間なく重なる凜々しいエネルギーに通ずる。
それは単なる見立ての発想とは違う。食材のありのままを見つめて、かたちづくる。
感受の扉をひらく
私のつくる一連のトーストは、単なる見立ての発想やいわゆる「デコ〇〇」とは大きく違う。テーマやモチーフを表現の目的にせず、食材の魅力が目に留まるかたちにする。制作中に完成形を決めたり意気込んだりすると、かえって食材本来の魅力から遠ざかる。
以前実施したトーストのワークショップでも、参加者の方々には「予定通りに作ろうとしないでください」と念入りにお伝えした。「食材と呼吸を合わせて一緒に作っていく気持ちで、力まず、素直に作ってください」と。
食材をありのままに観察することは難しい。固定観念や知識が、食材本来の姿を見つめることの邪魔をする。そんなときは、小さな心のときめきを、注意深く感じとってみて欲しい。
そもそもこの習慣をはじめた理由を振り返ると、日常で見過ごしてきた美しさに出逢いたかったからだ。トーストは食べれば無くなってしまう。しかし過去に発見した美しさと、それによって生まれた感性は、私のなかで生き続ける。
日々撮影しているトーストの写真は単なる形の記録ではない。
そのときに出逢った食材の美しさと、生まれた感性の「記憶」である。
私は焼き上がったトーストを作品とは思っていない。
美しさの発見と、私の中で生き続ける感性を含めた、この習慣こそがひとつの作品である。
この習慣が今ここにいる新しい私を生んでいる。
姿の記憶を積み重ねながら、この先も、新しい私と出逢い続ける。
トーストアートを日常のアクセントに
好きなものを飾ったり、写真に残したり、アルバムにしたり。あなたの「好き」をかたちにするアイデアをご紹介します。
テーブルフォトを素敵に撮る
手をかけてつくったトーストアートは美しさをそのまま残したいもの。撮影のときにも食材や料理に合わせてちょっとした工夫をすることで、写真がぐっと良くなります。
写真を壁のインテリアに
撮影したトーストアートは、撮りためていた写真と一緒に壁のインテリアにしてみるのはいかが?あなたの「好き」がつまったお気に入りスポットになるはず。
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