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青く澄んだ九十九里の空が、僕のこころのふるさと。

公開日:2021年12月24日

Photo : Satoshi Inoue

写真家の井上さんにとっての空。それは地元・九十九里の広く大きな、どこまでも青く澄み渡った空のこと。それは物心ついた頃からずっと側にあった第二の母のような存在。幼いあの日、空を見上げて海辺を駆け回った美しい記憶は忘れられることなく、大人になった今も毎日のように空を眺めているそう。見上げればいつでもそこにあれど同じ空模様は二度とない、空。土地開発で消えゆく大好きな九十九里の街の風景を写真に閉じ込めるのと同じように「儚い今という瞬間を写真に残したい」。その想いをお聞きしました。

PROFILE

井上哲志(いのうえ・さとし)

写真家。うつろいゆく空の美しさや日常の風景を中心に、心を温める写真を多く撮影する。

九十九里の空、都会の空

一眼カメラで写真を撮り始めたのは大学に進学してからのことです。何気ない日常の風景を青空や夕空とともに撮ることが多く、それは小さい頃から身近に空を感じる機会が多かったことに由来するのかもしれません。

僕の地元は千葉県の太平洋側に位置する九十九里浜で、広い空と海が広がる自然豊かな場所です。小さい頃、友達と遊ぶとなれば当然のように山や海を駆け回っていました。大学生になった今振り返ると、あの頃はいつだって目線を高く上げていて(たとえば大人を見上げるときや虫を探すときなど)、空のまぶしさ、突き抜ける青さに目をくらませながら、得体が知れない空の広さみたいなものに随分と心惹かれていたように思います。

それは九十九里浜の空がそうさせたような気がします。都心にある大学から地元へ帰ってくるとき、ふと空の色の違いに気づかされるんです。地元に近づけば近づくほど、空の色が青く透き通っているというか。都会の空もそれはそれで綺麗なんですけれども、見上げるとビルに囲まれて空の広さが限られてしまう。けれども地元の空は、見上げた時にぱっとひらけていて、そこにもくもくと海からわきたつ雲がある。それが僕にとっての「空」なのです。

きっと海が近いこともあるのかもしれません。海はこっくりとした青で、どちらかというと紫色に近く、それに対して空はうすく澄んでいます。そのコントラストが両方の青を際立たせて、素敵な風景を生み出しているのでしょう。

息を吸ってはくように空を眺めている

気づけば普段から空をよく眺めています。すこし早く目が覚めた朝、自宅から駅までの道のり、1時間30分ほどかかる大学への通学電車の車内から、地元に戻ってからの夕暮れの散歩道……。

何もなくても空を見上げますが、落ち込むことがあっても海へ行っては空をぼんやりと眺めています。それはだいたい日が暮れる頃。日が徐々に沈み「ブルーアワー」と呼ばれる、青に寄った色のグラデーションを眺めながら、頭を空っぽにしています。落ち込むことを考え続けるのではなく、何も考えない。

本当は落ち込んでいるけれども、何も考えずにいられるというどっちつかずな感覚が、紫から濃い青、青、オレンジ色の絶妙なうつろいに重なるのかもしれません。不思議と心がすごく落ち着いていくんです。

その空の素敵な色合いを前にするとしばらく呆然としてから、はっとしてシャッターを切ることもしばしば。夕暮れは、暗さを意識すると色がよく写ります。明るくすると色がのっぺりと薄くなってしまうので暗めに撮り、必要に応じてあとから明るくしていく。そんなことを意識すると、一瞬の美しさを損わずに残せると思います。

そういう空の魅力、一瞬の空の色の美しさみたいなものは、あんまりうまく言葉にできません。「素敵」という表現をとてもよく使うのですが、それは美しさを受け取った瞬間に反応できる言葉がそれしかない、僕の語彙力の問題でもありますが(笑)。言葉にしてしまうとこぼれてしまうような、言葉にしなくても自分の感じた「美しさ」は変わらずに残ると確信しているからかもしれません。

もう二度と出会えない今を残したいから

僕もそうですが九十九里浜生まれの人は、地元好きが多い気がします。学生時代に東京に出ても、やっぱり戻ってきてしまうようです。

それもあって慣れ親しんだ地元の風景が開発で変わっていくのはすこし寂しいものです。田舎ということもあるのでしょうが、通っていた小学校がニュータウンになったり、友達と遊んだ公園がコインパーキングになったりすることがとても多くて。

「今あるものがいつまでも当たり前に残るわけじゃない」と気づくと、写真に撮っておきたいというよりも、どうにかして映像や写真として「(今を)残さなきゃ」と思うんです。

空も同じです。一瞬の綺麗な空は刻々と様子を変えていきます。「もう二度と同じ空を見ることはできない」。そう思うと「いいな」と感じる空の表情を余すことなく残しておかなければ、と切実な感情がこみあげます。

とはいえ曇りの日以外であればだいたいどんな日もいい空が広がっていて。毎日残したい瞬間ばかりでかえって困っちゃうのですが(笑)。一年ごと、一日ごと、一瞬ごとに絶えず変化する被写体ですから撮りためた写真を消すこともなかなかできなくて。

「消したらあのときの空は見れなくなってしまうんだ」と思うと、データは消せずに、ただただ容量を増やして膨大な日々の空の記録が手元に溜まっていくのです。

空は第二の母

自分にとって、空は第二の母と言ってもいいかもしれません。生まれて20年とちょっとの間、調子の良い時も悪い時も、ずっと九十九里の海に行っては空を眺め、心を整理しては次に進んできました。

その経過をずっと見守ってくれましたし、カメラで空を撮ることでいろんな方と繋がったり、新たな世界への道が拓かれたりしました。ファインダー越しにより深く繋がれたような気がします。

もちろんこちらからなにを言うでもなく、空がそれに答えてくれるわけではないのですが、心の中でなにかが通じたような、対話しているような、そんな安心と癒しをもたらしてくれる母なる存在です。

好きをかたちにするヒント

いつも見上げている空を写す

好きなものを飾ったり、写真に残したり、アルバムにしたり。あなたの「好き」をかたちにするアイデアをご紹介します。

フォトブックにして形に残そう

写真の並べ方や用紙の種類など、こだわって作ったフォトブックは思い出を振り返るのにもぴったり。井上さんの初めてのフォトブック作成の感想をのぞいてみましょう。

刻々と変わる空の表情を写真に残そう

移り変わる空の綺麗なグラデーションが撮りたいなら、日の出や日の入りの時刻と位置を事前に調べておくことをおすすめします。綺麗だなと思う瞬間を残せるようにしましょう。

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青く澄んだ九十九里の空が、僕のこころのふるさと。
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2021-12-24