書家 涼風花が書道を極め続ける理由
公開日:2022年9月2日
最終更新日:2022年9月26日
14歳という若さにして書道における師範資格を取得し、その後、書家としての道を歩み始めた涼風花さん。書道はもはや彼女にとって「好き」「楽しい」を超えたものであり、「試練を与えるもの」なのだそう。とは言っても、思う通りの文字が書きあげられた時には、深い喜びが込み上げると続けます。そんな彼女の半生と、高みを目指し続ける理由、こだわりと表裏一体の書に対する強い愛を伺いました。
プロフィール
書家。7歳から書道をはじめ、14歳で書道師範資格を取得。NHK大河ドラマ「そろばん侍 風の市兵衛」にて夢だった時代ドラマの題字制作を叶える。書道パフォーマンス、著書の執筆などさまざまな角度から書に関わる活動を行う。
筆を握り、人生が始まった
生涯関わることとなる書。その道に入るきっかけを与えてくれたのは祖母でした。やましいながらも、書道教室に通えばお小遣いをあげるからという誘い文句にまんまと乗った形で、私の書道人生は始まったのです。小学2年生の頃のことでした。動機は不純かもしれませんが、学ぶうちに自分の字が目に見えて変わっていくことが分かりましたし、昇級していくことが嬉しくて。その延長で師範の資格取得に至ります。
資格をとるまでは文字が上手くなることを目的としていましたが、取得以降は一転、技術面を磨く方向へと移行。それは、ひとつの山を越えたことでもう文字を書くだけが書道ではないのだ、という視野の広がりがあったからだと思います。
もともと私は書家を目指していたわけではなく、恥ずかしながら時代劇に出演することを夢見てきました。けれども現実はそう甘くなく、大人になって上京してからも、なかなかことがうまく運びません。思い悩んでいた時、現在のマネージャーに言われたんです。「文字を書くことで(時代劇に)関わっていけばいいんじゃないか」と。そこで道を極めることと決めました。
師範の資格は持っておりましたが、それはいわゆる人に美しい文字を指導するための資格であり、題字を書くような表現力を保証するものではありません。ひとり、ぽつねんと文字に向かうだけでは作風の幅が生まれないということから、実際に大河ドラマや時代劇の監修や題字を手掛ける石飛博光(いしとび・はっこう)先生に師事し、研鑽(けんさん)を積ませていただきました。
石飛先生は、やさしく、人のこころを温めるような文字を書かれる方です。自分もそうなりたいと思い、師事しましたが、書の世界での学びとはつまるところ「見て学ぶ」ことに尽きます。手取り足取り指導されるのではなく、ひたすら臨書(手本を見てその通りに書くこと)を重ねることを基本とし、書いては首を横に振り、失敗作として捨てる日々を続けました。
長い時間同じ姿勢で筆を握り、半紙に向かうため腰や首を痛めることもありましたし、「目から覚える」ために筆を握っていない時でもいつでも作品が目に入るよう部屋に手本を貼って暮らしていました。あまりに手本からかけ離れた字ばかりが生まれるため、悔しさのため一夜、書き明かし、ボツ紙を掛け布団にして迎えた朝もありました。(それを先生にお話したところ、同じ経験があると聞き内心心強くなったことを覚えています)
そうして書の鍛錬を続けるうちに、ようやく自分の気づきが体に馴染み、少しずつ思うような文字の形をとることができるようになってゆきます。墨をたっぷり含ませた鷹揚(おうよう)な文字構え、勢いとともに払い上げるかすれの具合、余白をもたせた墨の黒さと半紙の白さの対比……。文字のうまいへたではなく、どうやって作品を全体で捉えるか、どう伝えていくかにまで、技によって思い至ることができるようになっていったと思います。
ただ美しい文字をしたためるだけではなく、自分の文字を書き上げること。その手続きを踏むことで、書の魅力について開眼し、その魅力をより一層強く感じるようになっていきました。
辛酸を舐めて辿り着いた書家の登竜門
いまでも日々の鍛錬として、会社に勤める方と同じ時間だけ筆を握り、およそ8時間毎日書を書き綴っています。書の道においていえば私はまだ若輩者。先人たちに引けを取らぬよう、それだけの時間をかけて積み重ねていかねばなりません。
そうして邁進する中で近年、自分の思うままの文字が書け、さらにはそれが認められたものが「毎日新聞展」に出展した作品です。中でも「毎日賞」という最も優れた作品に与えられる賞をいただいた時には、胸が一杯になりました。ああ、認められたんだな……と。
賞をいただいたのは、この公募展に出展をはじめて6年目のことだったと思います。毎年、出展するための作品を200~250枚ほど書き続け、ようやく掴んだ栄光でした。
公平な視点で作品を見て欲しいと言う気持ちから芸能活動でも名乗る「涼風花」ではなく本名での応募。また、この公募展は石飛先生をはじめ第一線を走る、さまざまな作風の先生がたに見ていただけるため、平等な審査がなされると聞いていましたから、3万点近くある作品の中からの最優秀賞を受賞したと知らせを受けたときは、胸が一杯になりました。
名前が知られてさえいればよいのでは、と思われる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。ですが、やはり書の道にいる人間としましては、プロフェッショナルに学ばせていただき、その上で実力を認めてもらいたい、とこころの奥底で長く思ってきました。実力主義の土壌で、純粋な私の技を見て欲しい。認めて欲しい。その強い願望が結実した結果は非常に喜ばしく思っています。
書家 涼風花として、どう生きるか
文字においても、そうでなくても個性というものは消えないのだと私はさんざん思い知らされてきました。まさに人間臭いところですが、その分、自分が醸し出したい雰囲気や空気感を捉えていくことが非常に大事なように思います。
この半生において、石飛先生のやさしさに溢れる字を数多く臨書してきましたが、どんなに似せても私の文字にはすこしトゲトゲした部分が残るように感じられます。生真面目な部分が表れているのでしょうか。人からはやさしく柔らかいと言われますが、そのように自分では感じています。
一方で今後は、「バシャーン」というか、ちょっと激しめの文字にも取り組んでみようかと思っています。作品についても、木立や森の中など自然に囲まれた空間に作品を展示してみたいですね。屋内で見るものではなく、自然と調和した中にある作品。写真を撮るにしても、そういった可能性を今後は模索していきたいものです。額装もせず、背に木枠だけをはめて、作品が宙を舞うような。
それらの作品が立体的に見えたとしたら、それは私の狙うところでもあります。墨黒の濃淡による奥行きから生まれる立体感は私の作品で求める境地でもありますから。
ですから作品を撮影する時も、その要素を損ねずに写しとることを意識しています。深い墨の黒が白飛びしてしまわないように、掠れや細かな筆跡が失われてしまわないように。全体の空気感が写真におさまるよう、技術的なことは細かくはわかりませんが、最適化できるよう心がけています。
書道とは私に「試練を与えるもの」だとしみじみ思います。書という山を一座ずつ乗り越え、なにかを得ることが自分にとっての確かな成功体験となる。やればできる。努力を重ねれば必ず実を結ぶ。なんの世界でもそうかもしれませんが、ひとつ確かな成功があるから他のこともちゃんと頑張っていけるような気がします。
先にもお伝えした通り、まだまだ書の世界では若輩者ですから、この先また新たな答えが見つかるかもしれません。この先も精進する次第です。
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