PRO-G1 Special Interview Nへの手紙 森山大道
公開日:2023年10月2日
公開日:2023年10月2日
今回掲載させていただく写真は写真集『Nへの手紙』からセレクトしていただいたものですが、まずは『Nへの手紙』のコンセプトをお聞きできればと思います。
森山 僕が1年前にちょっと体調を崩して、それで池袋の事務所から、一時的に自宅のある逗子に転居したんだよね。僕としては療養というか、そういうニュアンスもあって、あちこちウロウロしながら写真を撮っているわけ。足慣らしをしなくてはいけないとか、いろんなことを含めてね。基本的には逗子の両側、海続きの葉山と湘南あたりまでをスナップしているわけだよ。
聞くまでもないと思いますが「N」というイニシャルは?
森山 湘南と言えば、どうしても中平(卓馬)みたいな感じになってくるよね、僕の場合は。だったら『Nへの手紙』にしようと神林さん(月曜社の担当編集者)と相談して、決まった感じだね。何よりもやっぱり湘南に戻ってくると中平との記憶というか思い出がね、バーッと蘇ってくる。夜に中平の書いた厚い本。タイトルは忘れたけど(『見続ける涯に火が』)。彼からもらった時もパラパラと捲ったけど、今は時間もあるし、しっかりと読んでみた。そうすると中平との記憶、中平の言葉、中平の写真、そういうものが頭の中にどんどん出てきて、写真の有り様にもそれが出てくるんだよね。
今回は森山さんに写真をプリントすることの魅力をお聞きしたいと思って、このような企画を考えてみました。森山さんは以前から、写真を物質的な反射原稿としてプリントすることに対して、とても強いこだわりを感じるのですが?
森山 とても簡単に言うと、写真っていうのは印刷して、なんぼと思っているわけ。それはもう僕がずいぶん若い頃からそうだよね。とにかく印刷されることが大切。印刷されたところで初めて写真になるっていう感覚があるね。それぐらいやっぱり印刷っていうものが僕にとっては魅力があったのよ。写真っていうのはPrinted Mediaであるとはっきりと思っていたね。プリントされて初めて写真は成立する。あるいは生き返るって感じだね。それは今でも変わることがない。
写真=印刷だと強く思うきっかけみたいなものはあったのでしょうか?
森山 僕が写真の前にデザインの仕事をしていたとき、アトリエにはたくさんの雑誌があって。そこで僕は写真ばかりを見ていた。その時に記憶が「写真=印刷」を裏付けたのかもね。写真を仕事にしてからも雑誌のイメージをコレクションするような感覚で、街の様子とか看板とかポスターを写真に撮ってしまうのかもね。
ここでPRO-G1のプリントを見てほしいのですが、Professional Print &Layoutという印刷ソフトの機能にパターン印刷というものがあるのですが、ここから最適な1枚を選んでもらえませんか?
森山 みんな、いい写真じゃない?
そのとおりですね(苦笑)。
森山 フィルムの時からそうだったけど、1枚のオリジナルからいろいろな有り様があって、どんな風に変わっていってもいいんだよね。暗室作業だって、人間だから機械のように毎回、同じにはならない。そのときにこれだと思ったときに決める。だから、これが一番いいんだという風に特に思わないんだよね。
失礼しました。愚問だったかもしれません。さきほどの姿や形を変えて、写真が再び生命を宿すという感覚からすると、1つを選ぶという行為は、まるで殺生しているような感覚がしてきました(笑)。
森山 うん。むしろこれを見てると、このまま大きく引き延ばしてシルクスクリーンで刷りたいと思うよね(笑)。すごく、いいじゃない、 絶対に面白いよ。
そういう発想になれなかった自分が恥ずかしい限りです。
森山 という、風にしか僕には思えないんだよ(笑)。せっかくね、この機能を作っていただいている人には申し訳ないけれど。
これがインデックスとして並んだ様子は写真としてもとても面白いですね。急遽、ギャラリーを追加して掲載しましょうか?
森山 それは嬉しいね。実際、僕が自分でとても驚いたことがあったのは、松江の美術館で写真展をやったときのプリントね。それを何十年か後にたまたま見る機会があったんだけど、こんなに黒かったのかともうびっくりしてね。冗談じゃないと思うくらいに黒かった。でもそのときはそれが正解だったんだよね。だけど、今は違う。だから、選ぶ人も見る人も自由なんだよ。どれが正解というわけではないと思うよ。
誰もがスマートフォンで写真を撮る時代となって、写真がとても身近な存在になってはいますが、データが大量に保存されるばかりです。最後に森山さんからプリントの魅力を伝えてもらえませんか?
森山 写真家じゃなくてもいろんな人が写真を撮るわけじゃない。スマホでもカメラでもいいけど。その中でどんな人だってとても気に入った1枚があるはずなんだよ。それを記憶として残すためにも印刷をしてほしいんだよね。写真は最終的には記憶だと僕は思っているから。どんなに時間がたったものでも、プリントをすることによって1つの記憶になっていくんだよ。もちろん、個人の記憶としてもそうだけど、実はその写真を見た人の記憶にもつながっていくんだよ。その人を超えてね。それがやっぱり写真だし、プリントだと思うんだよね。
写真を見た人にも共感を生み出すことがたびたびありますね。
森山 例えば、自分の家族の写真でもいいんだけど。その写真を見たら、当然のように家族はその時の思い出が蘇るよね。あの時に遊園地にいったとか、スイカが美味しかったとか。だけど、まったく別の家族の人が見たとしても、その写真が想起させる自分の記憶とつながるんだよ。
たしかにその通りですね。記憶のアンカーポイントのように楔(くさび)になるような感覚でしょうか?
森山 そうだね。必ずしもみんなそういう風に上手くいくわけじゃないけども。でもこの1枚の写真を見ておもしろいと感じたり、電車で撮ったんだなぁとか。海兵が二人いるとかさ。同じ写真であっても、撮影者とは違うことをそこから感じる。それが連想となって、再び頭の中で定着されていくわけでしょう。それが写真の持つポテンシャルだよ。そのためには写真をカタチあるもの「Printed Media」にしておくことが大切だと思っているんだよ。
森山大道
Daido Moriyama
1938年大阪府池田市生まれ。デザイナーから転身し、岩宮武二、細江英公の助手を経て、1964年にフリーの写真家として活動を始める。1967年『カメラ毎日』に掲載した「にっぽん劇場」などのシリーズで日本写真批評家協会新人賞を受賞。近年では、サンフランシスコ近代美術館(1999年・メトロポリタン美術館、ジャパンソサイエティー(ニューヨーク)巡回)、国立国際美術館(2011年)、テートモダン(ロンドン)で行われたウィリアム・クラインとの合同展(2012~13年)他、国内外で大規模な展覧会が開催され、国際写真センター(ニューヨーク)Infinity Award功労賞を受賞(2012年)、フランス政府よりレジオンドヌール勲章シュバリエを受勲(2018年)、ハッセルブラッド国際写真賞(2019年)を受賞するなど世界的に高い評価を受けている。